2016-08-21

歴史と熱気 青木亮人

歴史と熱気

青木亮人

 

「オルガン」を読むと、思い出す逸話がある。『平畑静塔対談俳句史』(1990)の一節で、平畑は山口誓子の第一句集『凍港』(1932)の印象を聞かれた際、次のように答えた。

楠本 「凍港」が出たとき、どうでしたか。あれを受けとられた反響というものは。
平畑 いまの時代と違いますね。誓子の当時の俳句は全部、頭に入っているわけですよ、当時の連中には。だから句集が出てもピンとこないんですよ。誓子の俳句というものは全部「ホトトギス」へ出たもので、頭の中に入っているんですよ。(略)ほとんどみな、そらんじている句ばッかりですワ。
(「誓子と新興俳句」章。聞き手は楠本健吉)
「京大俳句」編集を一手に引き受けた平畑静塔によると、「当時の連中」――「京大俳句」等に集った新興俳句の面々――は「ホトトギス」雑詠欄に発表された誓子句をほぼ暗誦していたという。彼らは「ホトトギス」を毎号手に取り、雑詠欄入選の誓子句を熱心に読んでいたのであり、誓子句はもとより他に関心ある作品も毎月チェックしただろうことがうかがえる。

「誓子、今回はこう来たか…」「うん、これはいつもの誓子調だ」「これを投句するとは、虚子先生を試すようだな…」等々、「当時の連中」(平畑)は山口誓子の作品を一句読むたびに感想を抱き、口ずさみつつ、後に友人達と語り合い、議論する中でいつしか句を暗誦してしまったのだろう。

個人的には、これと「オルガン」を読む時の高揚は似たものがある。

郵送で送られた白封筒を鋏で開け、「オルガン」最新号を取り出して頁を繰る時の感情の波は、昭和初期に平畑静塔たちが「ホトトギス」新刊で誓子句を目にした時の昂ぶりと通うものがあるかもしれない…「オルガン」が届くたび、いつしかそう感じはじめた。

なぜそのように感じるかはいささか話が逸れるが、仕事柄、私は学術研究の形で近現代俳句を調べようと明治期から昭和期に至る資料を読むことが多いが、うまく実感しえないことがいくつもあった。

明治期、正岡子規の周りに集った人々がなぜあれほど熱気に満ちた革新の気風を抱きえたのか。あるいは大正期の、「層雲」等を中心とした自由律の高揚。そして昭和戦前期の新興俳句の情熱、中でも山口誓子に対する強い畏敬の念や戦火想望俳句への傾倒ぶりは、資料のみではなかなか実感しにくい。そこには、当時その場に居合わせないと分からない同時代的な共感や憧れ、期待や幻滅等があるかに思われた。

しかし、2015年に「オルガン」が届けられるようになってから、「同時代」の感覚を少し実感できるようになったのだ。

同じ時代に生き、信頼すべき俳人が日々句を詠みつつあり、驚くような句や息を呑む作品を時に発表するということ。「オルガン」の中で互いに意識しあい、影響を受けつつ、ある俳人は仲間からの刺激を顕著に示し、ある俳人はその影響から脱しようと自分らしさを模索し始め、またある俳人は自身の理念に向かって句を磨き続ける。その身ぶりや息吹を最新号のたびに実感できるということ、それらを一句ごとに感じ、また私自身も感慨を抱き、彼らと出会った来し方を想いつつ次号への期待を抱くということ。

同時代俳人の句にこのような感情を抱くのが特別に感じられるのは、個人的な時代認識があるためかもしれない。「現代詩手帖」2015年12月号に総括「俳句年鑑」をまとめた際、「オルガン」を紹介しつつ次のようにまとめたことがあった。

本年初頭に同人誌「オルガン」が創刊された。鴇田智哉の他に生駒大祐、田島健一、宮本佳世乃――最新の秋号から福田若之も参加――が集い、各自の作品とともに同時代の注目すべき句集を座談形式で論じている。第二号に当たる夏号では村上鞆彦『遅日の岸』(ふらんす堂、二〇一五)を取り上げており、次のくだりを見てみよう。
田島 初期の句は割とオーソドックスで、事象と季語とを結びつけた、現象的な句が多い。「青林檎山越えの荷に加へたる」「花一樹ある校庭の日曜日」。こういう句は常套だと思う。(略)でも平成二十三年から変わっていく。「風邪に寝て真昼を人のこゑ通る」、これは目に見えない声だけが動いている。(略)
生駒 抑制の利いた作り方ですよね。(略)光、水、空の表現が多いと思いました。七割くらい。だけど、技術があるから同じにはならない。モチーフ的には冒険するタイプではないのかな。
宮本 全体的には大人しい感じがするし、オーソドックスな俳句なのかな。
鴇田 みていくところはその先だよ。村上君の句はよく透明感があるって言われるけれど、それは何なのか。

自身の好悪や傑作か否かといった価値判断を性急に下さず、無条件に称賛や批判をするのでもなく、それらの手前に留まりつつ村上鞆彦という作者の特質を探り、句が出来上がる過程やその結果を、また句が何を目指し、何を目指そうとしなかったかを話し合う中で、「俳句」とは何かという問いが浮き彫りになる。「みていくところはその先だよ」(鴇田)という認識とともに作家や作品の考察を進め、それが何をもって「俳句」と見なすかという問いに連結する記事は多くはない。他には「翔臨」(竹中宏主宰)連載中の竹中「且翔且臨」あたりが思い浮かぶが、いずれにせよ寥々たるものだ。(中略)

ところで、丸山真男によると人類最高峰の音楽はナチス・ドイツ政権下にフルトヴェングラーがタクトを振ったヴァーグナーだったという(中野雄『丸山真男 音楽の対話』)。押し潰されるような厳粛さに裏打ちされた怒濤の音の波と、奈落を予感させる重々しい歓喜の歌は一九三〇年代には鳴り響いたかもしれないが、もはや二〇一五年の私たちが聞き届けることはできまい。

間延びした平和が身を柔らかく包みこみ、軽快な癒やしのひとときを求めディスプレイ上を漂流する私たちにふさわしいのはアイドルの嵐が出演するテレビ番組であり、AKBのポップ・ソングなのだろうから……ただ、それらテレビやネットを彩る旋律の中で、時に異色の楽曲が流れることもある。

仮にRadioheadの「Backdrifts(Honeymoon is Over)」のようなメロディーを今年の俳句界に求めるならば、次の一句が相当するだろうか。私たちの未来は明るく、不穏である。

秋草や死して階段昇り降り  生駒 大祐 (「オルガン」三号)
(以上、青木亮人「趣味や、死後の階段 2015年俳句年鑑」、「現代詩手帖」)
ナチス・ドイツ政権下のフルトヴェングラーなどと大仰な例を引き合いに出しているが、かほどに重々しい時代と比較せずとも、平成時代のあまりの洗練ぶりと軽やかさ、また衰退とも充溢ともいえない奇妙な真空状態に驚くことは少なくない(もちろん、私も平成人の一人なのだが)。

その中でも、「オルガン」は最新号のたび感情が波立つ数少ない俳誌だ。新しい号が届き、張りの利いた頁をめくりながら印字された句群や座談会を読むと、かつての歴史が甦る瞬間があるかに感じられる。

例えば、「ホトトギス」大正4年5月号を繰った時に「死病得て爪美しき火桶かな 蛇笏」を目の当たりにした時の驚きや、「京大俳句」昭和11年8月号に「緑陰に三人の老婆笑へりき」「算術の少年しのび泣けり夏」(ともに西東三鬼)が同頁に並んでいるのを見た瞬間の、鳥肌が立つような感覚。

戦後でいえば、富澤赤黄男や桂信子、高柳重信らが句や評論を発表した「火山系」、あるいは阿部完市や金子兜太、島津亮、林田紀音夫等が陸続と句を発表した初期「海程」。昭和後期の「俳句空間」――これは同人誌というより総合誌に近い規模だったが、角川の「俳句」等とは一線を画す編集だった――目次を見た時、あまりの豪華メンバーぶりに嘆息にも似た感慨を抱いたのも忘れがたい。

平成時代の俳誌「オルガン」を手に取り、頁を繰る時、私はこれら俳句史の息吹が甦る一瞬があるかに感じられた。それも同世代に近い俳人達が、商業的云々とは無関係に「良い俳句」を作ろうと模索し、確認しあいつつも変容や安定を求め、あがき、生き永らえようとしている。その純度の高さは、なかなか得難いものに感じられる。

「オルガン」の純度を俳句研究という立場で受け止めるとすれば、それは小林秀雄の次の一節に近いものかもしれない。

歴史事実とは、嘗て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ、今もなおその出来事が在る事が感じられなければ仕方がない。母親は、それを知っている筈です。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供を意味すると言えましょう。

死んだ子供については、母親は肝に銘じて知るところがある筈ですが、子供の死という実証的な事実を、肝に銘じて知るわけにはいかないからです。そういう考えを更に一歩進めて言うなら、母親の愛情が、何も彼もの元なのだ。死んだ子供を、今もなお愛しているからこそ、子供が死んだという事実が在るのだ、と言えましょう。
(小林秀雄「歴史と文学」、1941)
…小林秀雄風に言いかえるならば、先人達が「俳句」に賭けた情熱や歴史の果てに平成時代があり、「オルガン」があるのでなく、「オルガン」が俳句史の伝説的な一場面や句群を今に想起させ、強い臨場感を伴って回帰させるのであり、しかも「オルガン」とかつての「俳句」のありようは異なりつつ、彼らの作品の中に共存している。そのように思わせる力が「オルガン」にはあり、最新号を手に取り、頁を繰る時の高揚もそこにあるのだ、と。




最後になったが、かつて「俳句」月評欄を半年間担当した際、「オルガン」を紹介した拙論を引用しつつ本論の筆を置くことを寛恕願いたい。

ただ、長い伝統を誇る結社や俳誌も発足時はとにかく前に進もうと徒手空拳に近かったはずで、逆にいえば、希望と不安がないまぜになった勢いが初期の魅力といえます。例えば、昨年創刊の季刊同人誌「オルガン」――生駒大祐、田島健一、鴇田智哉、宮本佳世乃の四氏で、後に福田若之氏が参加――は現在三号(二〇一五年十一月)を数え、客気に満ちた読み応えある記事が多い。同人は二十~四十代で、自らの頭と手で「制約的詩」(先述の赤尾兜子)と格闘しうる見識の俳人たちであり、次のような句群を発表し続けています(最新の三号より)。

 目の玉を押すと蚊帳吊草が立つ   鴇田 智哉
 灰もなく秋の蛍は消えて以後    福田 若之
 右の手でみづうみ秋が細長く    宮本佳世乃
 歯車がまはり鶏頭並び立つ     生駒 大祐
 絵の奥の菊を見つめて未成年    田島 健一

 分かりやすい内容や意味を伝えるというより、有季定型でしか表現しえない世界観や表現そのものを作品に昇華した句群といえるでしょう。鴇田句は「~押すと」「~が立つ」の動詞に意味深な実感がこもり、福田句は「も・は」が一句に屈折をもたらし、宮本句は「右の手でみづうみ」における省略と切れが詩情を漂わせている。「歯車/鶏頭」の取り合わせを狙ったというより、作者には確かにそう見えたと感じさせる生駒句、また平易な表現で読ませつつ突如「未成年」で句を閉じてしまう田島句。万人受けする共感や安易な「内容」を優先せず、一筋縄でいかない世界像を読者に問いかける句群であり、このような作品を詠む俳人が集い、熱気とともに同人誌を刊行したことにある感慨を覚えます。

(以上、青木亮人「俳誌の継承と熱気」、「俳句」2016年3月号月評)


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