2016-10-16

後記+プロフィール495

後記 ● 福田若之


最近読んだものの感想。『街』第121号掲載の二十周年記念特集、「師系の内側と外側」について、少し。

中身の濃い特集で、いろいろと考えるところ、思うところはあるのですが、いちばん印象的に感じたのは、師弟というあり方の良し悪しをどう考えるにせよ、俳句に関わろうとする人がこの論題で語るときには、やはり、どこか精神論めいた物言いを完全に免れることはできない、ということ。

決して特集に参加した人たちや企画それ自体を揶揄するつもりでこう書いているのではありません。今日の僕らをとりまいているのはそういう環境なのだ、という僕なりの現状認識です。それは、すなわち、僕もまたそういうものから自由ではないだろうということです。けれど、精神論というものは、結局のところ、夢とか幻想とか、多かれ少なかれそういうものの上にしか成り立たないものでしょう。だから、この「師」ということばは、俳句の歴史のなかで、やはり、夢とか幻想とか、そういったものを抱え込んだ言葉なのだと、いまさらながら思ったわけです(もちろん、夢とか幻想だけではないと思いますよ。夢や幻想がかならずしも空疎というわけでもありませんし。単に、それらを、このことばは他のことばより多く抱え込んでいるということ)。

ところが、そんななか、この特集においてキーワードのひとつになっている「師選び」という語は、ちょっと生々しいぐらいに実際的なにおいがします。「師」を「選ぶ」というのはどういうことでしょう。格別に尊敬できて自分が学びたいと思える誰かがいたときに、はじめてその人を師と見なして仰ぐのであって、与えられた選択肢のなかから自分の「師」を「選ぶ」なんてことは、本当ではないと僕は思うんです。「師」は、おのずと見つかるのでなければ、いないはずのものだと思うんです。でも、「師選び」といえば、僕らにはそれで通じてしまう。僕も、それなりに意味を理解できてしまう。要するに、「師」がいまやシステムと見なされてしまっていることを端的に捉えた語が、この「師選び」だと言えます。

けれど、僕は、個人的な思いとして、「師」ということばをそんなかたちで発したくはありません。僕が「師選び」をしないのは、誰かと師弟関係になることそのものに対する抵抗感というよりは、むしろ、「師」ということばをどう書きたいかの問題です(これは重大な問題です。だって、ひとたび誰かを師として仰ぐとなれば、そのとき、僕は「師」ということばを俳句に書きさえするかもしれないんですから)。

ところで、夢とか幻想とかを持ちながら「選ぶ」ものといえば? いろいろありそうですが、たとえば、そう、マンションなんてのもそのひとつでしょう。総合誌の年鑑などに書かれた結社・同人誌の理念を眺めていると、良くも悪くも、印象としてどこか「マンションポエム」に似ていると思うことが、ときどきあります。

もちろん、結社の理念は、あくまでも内部でそれを共有するためのもののはずです。したがって、同人を増やすための外部向けの宣伝文句としてそれを読むことがそもそも邪道であるというのは、まったくその通りでしょう。でも、とりわけ総合誌の年鑑のような場にあっては、現にそういうものとして読まれてしまうということがありうる。そればかりか、ときにはそういうものとして書かれてしまっていることさえあるのではないでしょうか。

さて、「師」の話をしていたはずなのに、気づいたら「結社」の話になってしまいました。近代以降の俳句実作者の師弟関係について語ると、しばしばこういうことが起きます。これは、『街』の特集も同じ。しかし、「結社」という語には、一般的には、目的意識の一致したひとたちがそれを達成するために集まったもの、といった以上の意味はありません。そもそも、師弟関係の有無で「結社誌」・「同人誌」と呼び分けるなんてのは、ごく狭い範囲でのギョーカイ用語みたいなものでしかありません。結社の主宰は、集団のとりまとめさえしっかりできれば、「師」でなくてもよいわけです。だから、結社というシステムの今後については、師弟関係の問題とは別のこととして考えたほうがよいように思います。昨今の結社のかかえる問題は、もちろん結社によりけりでしょうけれど、極めて実際的な問題ではないのでしょうか。いや、僕は結社に属していないわけだから、どうなのか知りません。ただ、仮にそうだとしたら、夢とか幻想とかを歴史的なものとして抱えこんでいる「師」ということばは、そうした問題の解決策を議論するうえでは、きっと、あまり役に立たないのではないかなと。

俳句結社が、もし「師」を中心とした集団でなくなったら、そのときには、これまで多くの結社で掲げられてきたような抽象的な理念ではなく、もっと具体的な目的意識を共有する集団になることがあるかもしれません。そこに師弟関係があろうがあるまいが、たとえば十年計画でそれぞれの個人句集を編もう、とか、一年ごとにこれだけの数の句を揃えよう、とか、そういう具体的な目標があれば、結社というものは成り立つはずです。それらが健全なものになるかどうかは、僕にはわかりませんが。

案外、師弟の関係は、個人と個人とのあいだのみの、決して組織化されないごく私的な結びつきに立ちかえっていって、結社は結社で、そういう限られた人たちのあいだに育まれる運命的で特別な関係とは別に、ものすごく具体的な目的のもとに鍛錬を行う(それが果たされるなどして集まる目的がなくなれば、そのときは何のあとくされもなく脱退ないしは解散する)、そんな未来もありうるのかもしれません。まあ、先のことなんて何にもわからないですけど。



それでは、また来週お会いしましょう。


no.495/2016-10-16 profile

加藤静夫 かとう・しずお
1953年、東京都生まれ。藤田湘子に師事。「鷹」同人。2002年、第48回角川俳句賞を受賞。08年に第1句集『中肉中背』(角川書店)、16年5月に第2句集『中略』(ふらんす堂)を出版。

■柳本々々  やぎもと・もともと
かばん、おかじょうき所属。東京在住。ブログ「あとがき全集。」 http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com

■菊田一平 きくた・いっぺい
1951年宮城県気仙沼市生れ。「や」「晨」「蒐」各同人、俳句「唐変木」代表。現代俳句協会会員。

■笠井亞子 かさい・あこ
東京生まれ。エディトリアル・デザイナー。「麦の会」会員。現代俳句協会会員。「百句会」「月天」「塵風」所属。2010年より「はがきハイク」を始める。

■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「雷魚」会員。「なんぢや」同人。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(2011年、邑書林)。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

福田若之 ふくだ・わかゆき 
1991年東京生まれ。「群青」、「ku+」、「オルガン」に参加。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

0 コメント: