2016-10-30

『近現代俳句資料』より末吉麦門冬を読む 上谷佑梨子

『近現代俳句資料』より末吉麦門冬を読む

上谷佑梨子


初出:琉球大学俳句研究会「a la carte」Vol.1(2016)。転載に当たって加筆修正。特集「沖縄の句集を読む」の一篇として執筆された。


ここでは『沖縄毎日新聞』『琉球新報』のジャーナリストとして、また俳人として活動していた末吉麦門冬(明治一九年~大正一三年)が明治四二年から大正元年にかけて主に『沖縄毎日新聞』および『琉球新報』の新聞俳壇に寄せて発表していた作品を、『近現代俳句資料』よりいくつか書き抜いて読んでいきたいと思います。 

1.    蘭彷彿と風鈴も軒の闇 
(大正三年七月二六日付「新報」第五〇九四号 弔薬師楽山君)

同時代の俳人、楽山に捧げられた句でしょうか。新聞俳壇で麦門冬をたどっていくと、よく人に宛てた題のある句を発見します。句のみで読んでみると、あでやかに咲く蘭のような風鈴が、しかしその存在を誇示することなく軒の間の暗い空間の中にすっと入って、おぼろげに佇んでいる情景が見えるようです。華やかな蘭の雰囲気を「も」で逆説的に暗闇に導きながらも、「彷彿」ということばによって何度もその風鈴が浮かび上がってくるような印象が残ります。

次に渡口素月の名を題に入れた句を挙げます。 
2.    窃食の手見つけたり日短き 
3.    獄衣干す竿足らぬ日や短き 
4.    口癖の泥棒云ふや日短き 
5.    監獄の錠さす音や冷かに 
6.    検身や君が助の骨さえて 
7.    囁きの河鹿懐かしき社会哉 
(大正五年二月一九日付「新報」第五六四四号 渡口素月君の入獄談を聞きて)

これらの句も上の一句と同じように題から句の背景にある情報を前もって知ることのできる句でしょう。前掲の句が弔うという言葉通りの静粛な雰囲気を漂わせるとすれば、こちらはやや社会派のような印象をうけます。たとえば「囁きの河鹿懐かしき社会哉」では「社会」という言葉自体が広いので、具体的な景勝というよりも、素月と麦門冬の置かれている状況が想起されるのではないでしょうか。「河鹿」のささやかな鳴き声を享受できていた平穏が「懐かしき」で一変され、それは「社会」の光景として広がっていく。「竿足らぬ日や短き」など獄門での生活を揶揄するような、しかしそこに入っている素月の孤独に寄り添うような麦門冬の眼差しが感じ取れるようです。 

8.    燃え尽きて夕になりぬ山寒き 
9.    磯山を焼き下しけり海のへり 
(明治四二年三月一日付 「沖毎」第七四号 毎日俳壇 カラス会)

続いてはこの二句を読んでいきたいと思います。「燃え尽きて」「夕になりぬ」からきて「山寒き」と結ぶはじめの句では、山を包み込んでいる空までも山の風景の一部と化して、燃えるような夕日の色が山を赤々と染めている情景が浮かぶようです。一方の二句目は、同じく火を連想させるようなことばが置かれながらも、「へり」ということばによってむしろ「焼き下」された「磯山」と「海」にはある程度の境目が意識としてあらわれるように思われます。また「山寒き」と「磯山を焼き下しけり」で冬の只中と初春における風景の対比の中で火の別の姿を味わうことのできる二句ではないでしょうか。

次に時代が前後しますが、明治四二年から三年にかけて比較的まとめられて掲示された作品を上げていきたいと思います。 

10.  秋風や釘離れせし戸にさやる 
11.  人買の不首尾なげくや月の秋 
12.  美女もろて匈奴喜ぶ月の秋 
13.  砧洗ふ奏川の女や秋の水 
14.  衝突入の人颯爽として過ぎぬ 
15.  つと入や渡り廊下の長き程 
16.  夜警する地すへり村や天の川 
17.  薬掘れば家事あらん鶴唳す 
18.  猪打ちし鉄砲冷むる肩の上 
(明治四二年一一月一一日付「沖毎」第三二三号 毎日俳壇)

19.  化粧してラシャメン眠り暖炉哉 
(明治四三年二月二五日付 「沖毎」第四二三号 毎日俳壇)
 
「沖縄の句集を読む」というコンセプトにあまり即せぬままにここまで読んでしまいました。「沖縄」の「句集を読む」という行為の持つ困難さへの糸口を、ここから少し見つけられるように思います。上の句からうかがい知れるのはおそらく、麦門冬からみた当時の状況ではないでしょうか。おそらく時代的な特徴として、紅梯梧の「新兵」などのように第一時世界大戦下の雰囲気を読む句は他の同時代の俳人に見受けることができますが、麦門冬の句にさりげなく、しかし確かに現れているのは「ラシャメン」と呼ばれる当時のひとつの、あるいは複数の女性の姿でもあります。他人の家へ颯爽と侵入する「衝突入りのひと」が求める人、あるいは「ラシャメン」や「美女」をもらって喜ぶ「匈奴」、そして「人買」という言葉。そうした存在を描く麦門冬はいくらか「臣民」的な視線を孕みながらも、自身も含め「臣民」という枠組みから漏れだすであろう存在を描き出している、という点でまた別の角度から見た明治末期、大正にかける時代の視点を提示しているのではないでしょうか。

以上、書き出してみれば社会的なものばかりに寄せて読んでしまったような気もいたしますので、最後は別れと明確な方角を指し示していながらも、どこか所在のない不安さ、振動を思わせるこの句により締めくくりたいと思います。 

20.ぼうふりのわかれんと云ひ右左 
(大正四年八月一六日付「新報」第五四六七号 出発の前夜)

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