2016-10-30

長い午後 郡山淳一について 大塚凱

長い午後
郡山淳一について

大塚凱 


身体性、というものの息づいている句は古今を問わず数々あるが、その中で、身体性に研ぎ澄まされた感覚を持つ作家として僕が真っ先に思い当たるのは、郡山淳一である。これから挙げられる彼の作品をご覧になってわかる通り、その句は徹底的に完成されており非の打ち所のないものとは到底言うことはできない、と僕は感じている。そもそも、僕は彼の作品を50句しか知らない。しかし、仮にそれらが俳句史において蓄積されてきた「いい句」というぼんやりした総体には適合していないとしても、それに何の問題があるだろう。身体性という次元においては、彼には高い純度を誇っている作品があると考えている。

そもそも、身体性とはなんだろうか、と問われれば、ハッキリと答えを提示することができない。僕は文学畑の人間ではないので哲学科教授や英文科講師が口角から泡を飛ばしながらどのような定義でこの言葉を用いているのかを知りえない。しかし、例えば、「米軍基地の爆音に包まれながら、日々不安を抱えている苦しみが、お前らにわかるのか?」という言説には一定の身体性が伴なわれているように感じる。ここは政治言論の場ではないので政治的イデオロギーと身体性の関係については口を噤むが、誤解を恐れずに言えば身体性とは「固有の肉声として聞き做しうる、尤もらしさ」のようなものだろうか。 

硝子くもりときどき咳(ルビ:せき)にひびくこと 郡山淳一 

確かに咳はひびくが、物理的には硝子をひびかせるまでのことはあまりないように感じられる。しかし、郡山は「くもり」というジョイントを用いることで、その硝子が曇っていること、すなわち硝子と自らの身体との近接を表現しているのだ。「ときどき」は意味上の効果というよりは、韻律にゆとりを与えるという点で副詞の二次的な効果の面が強いと評価したい。「硝子」「くもり」と「咳」の道具立ては平成2810月現在の僕たちから見れば甘ったるいものであることは否めないが、そこには身体があると僕には強く感ぜられる。 

雨季いたりみどり児の目にやどる飢ゑ 

「飢ゑ」が「目にやどる」という表現は俳句においてはやや乱暴だろうと思う。ただ、「雨季いたり」と書かねばならなかった点に、僕は郡山の身体性を感じるのである。「雨季いたり」の上五から、我々は雨の垂線に取り囲まれたその瞳を想像する。そしてその垂線は空間だけではなく、時間の上でも「これまで」と「これから」の時間軸上に夥しく広がっていることが示唆されるのである。これは単純に、雨の中にいるみどり児の虚ろな瞳を詠んだ句ではない。雨季の時空のひろがりに佇むとき、書かれ得たみどり児のまなざしに、僕たちのまなざしが同化する感がある。 

笑ひつつゆき老人を追ひ越さず 

「追ひ越さず」と書くとき、あるいは読み下すとき、僕たちは既に一旦「追い越す」というイメージをするはずだ。否定形にはこのような「未然のことを既に想起させる」という効果がある。この身体は老人の後を歩みながらも既に「追い越す」というイメージを反復している。この「笑ひ」は純粋な笑みではないだろう。その屈折に、肉声らしさを感じるのだ。

もっと手っ取り早いことを言えば、郡山の一連の作品には身体の部位を詠んだものが「著しく」と言って良いほど多い。身体を詠めばさながら味の素のような即効性で身体性を獲得できるとは簡単には言えないが、身体性を獲得するための手法としては多分に意識されたものだっただろう。身体が身体性を獲得するためには、その身体が表現によって「意識される」ということが必要である。

身体の意識のひとつの側面には「痛み」があるだろう。 

怒るより知らずつめたき股(ルビ:もも)の膿み
さすらひの果ての岬に唇嚙む
婚近し内出血の腕の痒(ルビ:かゆ)み 

<さすらひの果ての岬に唇嚙む>は叙情としては恥ずかしい部類に入るが、この「唇嚙む」には人間の息遣いが感じられてならない。夢うつつの人間が頬をつねるように、痛みは身体性を意識させる。つまり「唇嚙む」という行為は、自らの身体性への意識の表出である。さらにここでは、「唇」は「岬」に立つ者の、そのまた切っ先のような部位である。「岬」から収斂していくその消失点にあたかも「唇」が存在しているかのような構図は、スケッチとして高い純度を保っている。<婚近し内出血の腕の痒み>は、「婚近し」の叙情を「痒み」の感覚で表現している。このような手法自体は主に「天狼」によって形成されたと認識しているが、郡山の場合はその手法に身体感覚の導入を図っている。

同時に、「病」への意識も強い。 

眼を病みてながれ星ゆくとき睡る
狂院の灯が消え姉は狂はざり
ぼくが病むと蛍逃がしてしまふ父 

ここに至っては、「病」が概念上の病というか、英語でいう不可算名詞として扱われているような感覚というか、むしろ当人の身体性が弱いように感じられてしまう。しかし、蛍の句などは<ほほゑんでゐると千鳥は行つてしまふ 佐藤文香『君に目があり見開かれ』2014年>に似た文体であり、「と」の接続によって前後が衝突する構造だ。この構文自体がいつから存在するかについてはそれなりに時代を遡ることができるだろうが、奇遇にも前号の週刊俳句(49620161023日「名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫 (27))で今井聖が鴇田智哉の<こほろぎの声と写真にをさまりぬ><上着着てゐても木の葉のあふれ出す>を引用しながら「『凡庸』を『と』と『ゐても』でひっくり返し敢えて違和感をぶつける」手法だと指摘した通り、平成俳壇において特別に意識されつつある構文であることは間違いない。郡山の句においては、「父」が登場することにより「ぼくが病む」という身体性から主題が離れ「父子の関係」という別の方向に句が拡散してしまっているが、「蛍」が佐藤句のように「行つてしまふ」構造自体には可能性があったと思う。 

左手で書くべしけものめく愛は

これが「左手で書いた文字は獣のように荒れている」というものならば、固有の身体性は失われてしまう。この句は「べし」という助動詞を媒介として、「左手で書く」という未然の行為と「けものめく愛」とを暗喩している、あるいは両者のイメージを重ねた構造だと解釈されうるだろう。すると、そこでは「左手で書く」という実感を伴った行為を入り口として、僕たちが容易には解釈できない「けものめく愛」のイメージの一端に触れることができるのではないだろうか。この手法はやや込み入っているが、まだ俳人に消化されてない可能性を秘めているのではないかと感じる。

僕はかねてから、「俳句っぽくないもの」あるいは「いい句」という曖昧なイメージの集合に対して「難しい」や「具体性がない」などと安易な否定が加えられているのではないかと、危機感を覚えている。そもそも、俳句表現における「成功」とはなんだろうか。そう考えると、日々生産される鑑賞文(や読書感想文)の中には、多分に恣意的で、ときに政党運営のための政治的ニュアンスを帯びた代物が存在するのではないかとつい懐疑してしまう。「それはなにか」という事実解明的な問いを疎かにしながら「どうあるべきか」という規範的な問いに解答するのは無責任だ。その点で、郡山の作品群は「俳句とはどうあるべきか」ではなく「俳句とはなにか」という深淵の一掬を考えさせてくれるひとつのテキストである。

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さて、郡山淳一は「俳句研究」昭和4811月号に発表された第1回「五十句競作」の入選者である。彼は当時千葉工大建築学科に通う22才の青年であったが受賞後、昭和52年に筆を折ったと伝えられている。同誌には、佳作に選ばれた攝津幸彦や大屋達治、澤好摩らの作品の前に、「半獣神」と題された彼の50句が掲載された。今回引用した彼の句は、すべてここに拠る。しかし、彼の受賞にもある種の「配慮」が働いていたことは確実だろう。俳句空間weekly2008920日土曜日 俳句九十九折(4)高柳重信と五十句競作)で冨田拓也が以下の通り述べている。 

重信は第一回を成功させるべく受賞者の候補としてあらかじめ、三人の作者、宮崎地、郡山淳一、大屋達治に目星をつけていたとのことです。しかしながら宮崎大地という青年は(中略)第一回の応募を辞退、その後俳句をやめてしまったそうです、結局、無所属ということが決め手で郡山淳一の受賞ということになりました。 
受賞の弁として、同誌には彼の言葉が載っている。
 ただ単に「定型詩」であったのだ。わびも、さびも、僕は知らない。切字も、季語も、僕は知らない。しかし、そんなものがどうして僕に必要だろう。
 「俳句とはなにか」という問いに対して「俳句とは定型詩である」と言われても、僕は到底納得ができない。だからこそ、僕は彼の試みたことを消化しなければならないと、考えている。

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