2016-11-06

鷲谷七菜子の真意 第一句集『黄炎』論 瀬名杏香

鷲谷七菜子の真意
第一句集『黄炎』論

瀬名杏香


大正十二年、上方舞楳茂都流家元の父、宝塚スターである母との間に鷲谷七菜子は生まれた。その生い立ちが色濃く分かるのが、第一句集『黄炎』(昭和三十八年)の一頁目である。また彼女の句を語るために先人が頻繁に句を引用してきたのもこの頁だ。まずはこの頁から三句選んであげてみる。なお、本句集は第一部「十六夜」、第二部「雪」、第三部「黄炎」に分かれ、年代を区切った三部構成となっている。

十六夜やちひさくなりし琴の爪(十六夜)
春雨のこまかきゆふべ琴を売る(〃)
春愁やかなめはづれし舞扇(〃)


欠けてゆくものは「月」と〈琴の爪〉だけではない。自身が気づかぬうちに何かを失ってゆくようなせつなさを感じる。『鷲谷七菜子全句集』(平成二十五年)の「鷲谷七菜子略年譜」には、家庭の都合で彼女が六歳のときに両親の元を離れ、祖母と二人で暮らし始めたとの記述がある。少女であった彼女は自身も習っていたであろう琴や舞との断絶を強いられるという経験をする。〈春雨の〉の句は〈十六夜や〉の句の続きのように読むこともできるだろうか。そうであれば彼女の人生にあった〈琴〉という存在の大きさがおのずと理解できる。〈琴を売る〉や〈かなめはづれし〉の言葉からも、変わらないと信じていたものの変化を思う情緒が漂ってくる。

しかしこの〈琴〉や〈舞〉といった芸事のモチーフは句集冒頭に集中するのみでそれ以後はそれほど詠まれていない。このことより、鷲谷七菜子、あるいは句集「黄炎」を論ずるにあたって、恵まれた芸能の血を引き継いで俳句に才能を開花させた作家、あるいは身近に芸事がある生活を綴った句をちりばめた句集、と安易に結論付けてしまうことはできない。彼女が「馬酔木」に投句を開始した翌年の昭和十八年から昭和三十七年の十九年間分の句が「黄炎」には収録されている。彼女が現在までに世に出した計八冊の句集の中で「黄炎」は収録年数が最も長い。本格的な句作開始から処女句集出版までという道のりであるため、ほかより年数が長いのはあたりまえではあるが、この十九年間で彼女は俳句についてだけでなく、自身の人生観をもゆるがし新たな人生観の形成をうながされるようないくつかの岐路に直面する。第一句集を読み込んでいくなかで分かった、彼女が詠むことを求め続けた対象をいくつか取り上げつつ、この句集の三部構成がどのように変遷していくかに触れてゆきたい。

まずは彼女の生活に張り付いていた病という圧倒的な存在について書く。十四歳の頃に肋膜炎を患い学校に行くこともままならず、彼女の青春期の大半は自宅療養に費やされた。頻繁に用いられる「臥」、「起居」という語彙を含んだ句を引用すると

梅雨きざす起居に触れしものの端(十六夜)
菊捨ててよりの起居のうらさむし(〃)
病めばなほ抱き臥す枕つめたしや(〃)
月の臥処抱けばわが身熱かりき(〃)
半生や臥せばつめたきひたひ髪(〃)
聖夜わがましろき胸を診られ臥す(〃)
病臥なほ壁の羽織の裏あかき(〃)
春の夜や臥てもつめたき足もてる(雪)
藤咲いて起居にまとふ翳淡し(〃)


などがあり、常に身を安静にしながら句を詠み続けていたことが読める。使用季語を見ても、手の届く場所にある対象、あるいは〈梅雨〉、〈月〉、〈春の夜〉など身を横たえていても在りかの把握がつく対象にしぼられている。〈病めばなほ〉、〈半生や〉、〈春の夜や〉の句に示されているとおり、彼女は自身の体に起こっている変化をこんこんと詠み連ねた。季語を求めに外へ出ることも叶わず、自身の体の声に耳をそばだてることで彼女は自身の病を慰めたのである。

また、彼女は自身の病を隠そうとはしていなかったようで、直接的に詠んだ句も多く見られる。「蜜柑むく病む日の指の汚れなく」、「木の葉髪かきあげて死はたはやすし」、「病む肩に羽織のすべる春火桶」、などがあげられるが、〈死はたはやすし〉からは長い療養生活の中で彼女が悟った死への観念が身にしみるように伝わってくる。

句集解説にて山口草堂は彼女の句につきまとう「翳」の存在に幾度も触れている。句集よりいくつか句を引用すればそのことはおのずと分かる。「胸占むるひとつの翳の濃き夜長」、「藤咲いて起居にまとふ翳淡し」、「翳る身の寄りがたく菊澄みにけり」といった句にはあからさまな表現が目立つ。彼女は自身につきまとう「翳」と果敢に立ち向かい、自身の孤独や葛藤を痛々しいほどにさらけだす。

略年譜の十二歳の欄には「はじめは短歌に興味を持ち、与謝野晶子風の短歌を作っていた(後略)」と書かれており、彼女が短詩型に触れるきっかけは短歌にあったといえる。短歌から俳句への創作の移行に、少女期に触れていた短歌の抒情性の影響があったことは否定できないであろう。句集前半の句は短歌的表現が顕著である。しかし、〈病む〉、〈翳〉といったあからさまな言葉でなくとも彼女の真意に触れることができる句はほかにもある。

相別れシヨールに埋む顔なかば(十六夜)
急ぐ背に遠き蛙となりゆけり(〃)
春愁の目とあひてより黙しけり(〃)

かくすべき吐息あらはにセルの肩(〃)
秋燈下拒みし言のみじかさよ(〃)


これらの句は病の句ではなく恋愛の句だろう。「十六夜」から「雪」にかけて詠まれる対象には病や死に劣らず恋愛についても多い。病にも恋愛のテーマにも共通していえるのが秘めた思い、いわば言葉や感情の抑制であり、直接的な表現を使わずに真意をほのめかした句も多く見られる。〈相別れ〉、〈かくすべき〉の句には口元の描写が用いられ、感情を読み手に差し出す。まだ情緒的発想からは抜け出せていないが、〈急ぐ背に〉や〈秋燈下〉の句は秘めた思いのすべてを吐露することの不可能性を匂わせる。
 
「十六夜」から「雪」にかけて彼女の体を蝕んでいた病は快方に向かい、彼女の身にせまりくる病や翳を詠んだ句は減少を見せる。ところが第一句集出版の直前である昭和三十七年にあらたに肺結核を患い、句集最終にはたたみかけるように病を詠んだ句が並べられているのが非常に切ない。

咳暑し時の向ふに星ともり(黄炎)
虹が抱くわが家に病みて明日思はず(〃)
ひぐらしや静臥の胸に水奏で(〃)
秋風にたましひ乾きゐつつ咳く(〃)


しかし、「十六夜」で見せたあまりにもストレートすぎる病へのまなざしとはうって変わり、体内の外側、あるいは体よりはるか遠方に思いを馳せた句を多く見つけることが出来る。〈虹〉、〈秋風〉などの季語への歩みよりも心地よい。「十六夜」、「雪」から「黄炎」にかけて俳句的技量をたくわえた彼女は読み手に新しい表情を見せてくれる。

句集の多くをしめる抒情的な句について語らないことは避けられないが、直接的な表現の句以外にも、彼女の心情を語る句を読み落としてはいけない。彼女が俳句表現に追い求めていたものは病への畏怖や身の上の嘆きだけではなく、彼女の真意を物理的にまとった身体をいかに詠み込むかであったのだろう。一冊の句集を通して彼女の興味は感情から具体的な対象へと変化する。ほかにも恋愛をとおしてたちのぼる他者との向き合い、使用範囲の広がりを見せる季語なども同時に拾っていくことで、わたしたちは鷲谷七菜子の秘めたこころに近づくことができる。

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