2016-12-04

【週俳10月11月の俳句を読む】雑読『冬が来るまでに』 瀬戸正洋

【週俳10月11月の俳句を読む】
雑読『冬が来るまでに』

瀬戸正洋


木村傘休は、「燈下の先達」という燈下集作家による連載の中で、安藤赤舟、林蟲兄弟を担当し、「春燈」9月号、10月号に「冬田道の兄弟 安藤赤舟」「冬田道の兄弟(2) 安藤林蟲」を書いている。60枚を超える労作である。また、加えて、5ページにわたり、略年譜「安藤赤舟・林蟲とその時代」も傘休編として掲載した。私は、吉屋信子の「底のぬけた柄杓」を読んだことがあるだけなので、たいへん興味深く読んだ。赤舟、林蟲兄弟の父は、吉原の貸座敷「河内楼」の主であった。
この、9月号では、春燈俳句会「久保田万太郎研究会」発表会の特集も組まれ、研究発表された「久保田万太郎戯曲の展開」福井拓也が掲載されている。また、「週刊俳句」第498号、堀下翔まるごとプロデュース「学生特集号」後編にも、この「久保田万太郎戯曲の展開」が、部分転載されている。

旅人はギリシャの木槿銀時計  福井拓也

銀時計というと懐中時計をイメージする。銀の懐中時計を眺めていたら、銀の懐中時計は、おもむろに語り始めたのである。歴史とは何であるのか、旅とは何であるのかと。木槿の傍らで銀の懐中時計は確実に時を刻む。

傾くと露とは軽き眠りかな  福井拓也

露とは儚きもなのである。それが傾くのであるから、益々、儚いものとなっていく。軽きとしたことで、露の重さ、即ち、現実味が加わってきた。そんな時、ひとは眠る以外に何をすればいいのだろう。

秋風を誘へる笛の小さかり  福井拓也

風の神様が笛を奏でると空気は動き始める。風の神様がちいさな笛をお持ちになったから秋風となった。当然、風の神様は気紛れなので、冬であろうと、春であろうと、夏であろうと、ちいさな笛をお持ちになることもある。

小鳥来る水の歳月なりしかな  福井拓也

歳月を例えるものとして「水の流れ」がある。歳月とは留まることなく流れ続けるものだということだ。だが、この作品は、水の歳月だという。小鳥が生きていくために、あるいは、他のものが生き続けるために、涸れることなく、そこに水は流れ続けるのだ。

とんぼうとなりときどきは日の流れ  福井拓也

とんぼうになってみると、ひとであるときには気が付かなかった日の流れを感じることができる。ときどきは、日の流れに身をまかせることも悪くはないと思ったのである。私たちがとんぼうを眺めていて、動きが変わったなと感じたとき、それは日の流れに乗ったときなのである。

いわし雲微熱の指の長さかな  福井拓也

すこし熱があり身体が怠いのである。そんなとき、何をしても集中できず時間の経つのが遅く感じる。いわし雲を眺めていると、微熱のあるひとの脳髄のように見えてくる。そんな時、ひとは指の長さが何故か気になるのだ。

あるこほる流るる曼珠沙華は白  福井拓也

曼珠沙華というと、あまり、よい印象を持っていない。子どもの頃、竹を刀に見立てて、茎のあたりを目掛けて振り下ろすと、面白いように花は地面に落ちた。死人花、彼岸花、等々、別名もよろしくないし毒もある。最近、曼珠沙華を摘んでいるひとを見掛けるが、だいじょうぶなのかと思ったりもする。

アルコールが血管を流れるのと同じように、曼珠沙華にもアルコールが流れるのだ。酔った曼珠沙華は白くなるという。酒を飲んだ白い曼珠沙華を眺めながらの昼酒も悪くはないと思う。

燃ゆるならてのひら月の便りかな  福井拓也

月の便りだから、てのひらで受けるのである。月の便りだから、てのひらで受けると燃えるのである。月の便りとは、恋文のことなのだろう。故に、冬が来るまでに、心のなかで折り合いをしっかりとつけなくてはならないのだ。

十三夜おほきなおほきな砂時計  福井拓也

この砂時計は、駅の待合室とか、観光地などひとの集まるところにあるものなのだろう。「おほきなおほきな」というくらいだから常識を超えた大きさの砂時計なのである。月を観に出掛けたのであるが、あまりの大きさに驚き、砂時計の方にこころが移ってしまったのである。そんなひとの思いとは無関係に月は静かに中天へ。

歩くほど砂漠へと冬隣かな  福井拓也

冬の近づいた気配を感じる晩秋のころのことを冬隣という。目的地は砂漠ではないのだが、歩けば歩くほど近づいて来るのは砂漠。「東京砂漠」という、はやり唄があったが、この砂漠とは負の人生を象徴しているのかも知れない。砂漠へは行きたくて行くのではない。冬の季節も待ち望むものではない。砂漠に近づいていく感覚、冬に近づいている気配。どちらも、歩いているから、生きているから、それを意識してしまうのだと思う。

二冊の「春燈」は、職場の机の引き出しに入れてあり、昼休み、あるいは、仕事が一段落したあと、手に取ったりして楽しんでいる。「燈下集」、「当月集」「春燈の句」の俳句作品は、さすがだと思う。「燈下集」には、鈴木直充、本多遊方、三代川玲子、溝越教子の名も見える。木村傘休の俳号は、名乗りを上げるとき、同時に感謝の気持ちを込めたいからだと言っていた。だが、「春燈」において「傘」という文字を使っているからには、それなりの「ある」思いを秘めているのだと思う。

この師走には、S町のB座で久保田万太郎作の「かどで」「舵」の二作が上演される。二作品とも下町に生きる職人の世界を描いたものなのだそうだ。ある句会で、ある方から、そのパンフレットと優待割引券をいただいた。たまには、老妻とふたり、出掛けてみるのも悪くないなどと思ったりしている。


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