2016-12-25

【2016年週俳のオススメ記事 1-3月】幼子と故人と、考えることのはじまりについてなど 福田若之

【2016年週俳のオススメ記事 1-3月】
幼子と故人と、考えることのはじまりについてなど

福田若之


もういくつか寝ると終わってしまう2016年も、例によって例のごとく、新年詠からはじまる一年でした(1月3日付の第454号の表紙に全句掲載)。個人的には、《をさな子のしと浴びにけりお元日》(押野裕)に惹かれます。めでたい。をさな子を愛でたみがつよい。

愛でたみ、といえば、3月13日付の第464号に掲載された西村麒麟さんによる《春なれや生きて忌日にかこまるる》(八田木枯)の鑑賞は、作家に対する敬愛を感じさせる文章です。余談ですが、連載「八田木枯を読む」は今年で一旦おしまいとのこと。さびしくなります。同連載でこの1月から3月に取り上げられている句のなかでは、1月31日付の第458号の誌上で角谷昌子さんが鑑賞されている《寒鯉の頭のなかの機械かな》(同)が、とてもいい。角谷さんの鑑賞文も、生前の木枯さんについてのエピソードを交えた文章で、敬愛を感じさせます。ぜひご一読ください。

俳句には(という前置きは別にいらないんだろうけど)、質感批評、とでもいうべき批評のスタイルがあると思うんですね。1月10日付の第455号に掲載の上田信治「透明感のあるゴツゴツとか、落ちそうで落ちないとか」は、その質感批評の最たるものとして、ぜひオススメしたい記事。

10句作品では、2月7日付の第459号に掲載された川合大祐「檻=容器」におどろかされました。あえて書くなら、川合さんは「川柳」の書き手として知られ、今年、第一句集の『スロー・リバー』をあざみエージェントから出版されています。この10句は、「川柳」について考えたり、あるいは、「俳句」について考えたりすることのはじまりに置きうる10句だと思います。そして、僕らが、それを意識するにつけて、「川柳」とか「俳句」とかいうふうに既知のはずのジャンルを「」に括って語り、かつ、騙らざるをえなくなってしまうあのあいまいさについて、そしてまた、これらのジャンルの名を括るのに用いることでそうしたあいまいさについての議論を宙づりにすることさえできてしまうこの「」について考えることの、はじまりに。

最後に、「オススメ」ということばは似つかわしくありませんが、3月20日付の第465号に掲載された和田悟朗追悼歌仙「ひとときの」の巻も、この年の瀬に思い出しておきたい記事のひとつです。評釈つき(にしても、「追悼クラスター」って表現はなんかすごいな。この表現もまた、故人に対するひとつの敬愛のかたちなのでしょう)。

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