2017-05-21

ハイジ、ハイジに会いに行く 第3回 髙柳克弘 聞き手 高山れおな

ハイジ、ハイジに会いに行く
第3回 髙柳克弘 
聞き手 高山れおな


















撮影=広瀬達郎

インタビューが行われたのは二〇一六年二月二十日のことなので、もう一年も前である。この間、髙柳氏にはお子さんが生まれたと聞いているし、さらに昨年五月には第二句集『寒林』(ふらんす堂)も刊行されている。

なかなか雑誌を出せずにいるうちに状況がいろいろ変ってしまったわけであるが、その点は目をつぶっていただくとして、なんで髙柳氏にインタビューをしようと思い立ったかと言えば文藝春秋の「文學界」に乗った一連の小説を読んで興味を引かれたからであった。すなわち、「文學界」二〇一五年四月号に「蓮根掘り」、五月号に「高きに登る」、七月号に「蟹」が載り、さらに十二月号にはもう一段の力作である「降る音」が出た。

氏の俳句はもう十数年来読んでいるわけだが、これらは俳人が書く小説として或る特徴を帯びているようでもあるし、特に最後の「降る音」は氏自身の来し方を踏まえていると思しい要素も見えて殊更面白く読めた。



――「文學界」からはどういう形で話があったのでしょうか。

髙柳 「文蓺春秋」本誌の巻頭に短歌と俳句と自由詩が載るコーナーがありますが、あれの俳句欄に依頼が来たのがきっかけでした。その時に担当して下さった編集の方が僕と同世代で結構やり取りするようになって、震災が起こった後で、震災の跡地をめぐる紀行文を書いたんですね。

――「文藝春秋」二〇一一年八月号に出た「崩れし『おくのほそ道』をゆく」ですね。

髙柳 そうです。それで小説も書いてみないかということになって、その方を通して「文學界」の編集者を紹介してもらったのが出発点です。

もともと物語は好きで、中学生の時に絵本の賞を獲って単行本にしていただいたことがあって、その記憶がどっかにあったと思うんですけどね。大学もロシア文学に行ってましたし、小説自体は読むのも好きだったんですけど。

――そもそも俳句ではなく小説を書こうと思ってたということはないんですか?

髙柳 ちょっとありましたね。しかし大学に入っていよいよやろうかなと思っても、ドストエフスキーとか読んでるとやっぱり圧倒されちゃうんですよね。あれの前で自分はもう何も書くことはないなという気持ちになっちゃって。で、俳句の方に大学時代は行ったという。

でもせっかくそういうお声がかかったんで、また気持ちを奮い起して小説を書くことをしたんですけど、最初はあまりうまくゆかなくてですね、ここ一年で四本載せて貰ったんですけど、じつは二、三年前から着手してまして、結構没も食らってます。

最初は大学生とか高校生を主人公にした青春物を書いていたのですがそれはあまり通らなくて、ちょっとやり方を変えてみようと、「蓮根掘り」というタイトルのほんと短いものなんですけど奇譚風のものを書いたらまあいいだろうということになって載ったんです。これがほんとに冬にたまたま「鷹」の茨城支部の吟行会があって、そこに招かれて行って。

――じゃあ、関悦史が住んでいるあたりですね。

髙柳 そうですそうです。土浦の霞ケ浦のあたりでしたね。蓮田がほんとに広がっているところで。小説が没食らいまくってくさくさしてましたから、もうヤケクソみたいな感じで、これをネタに書いてダメだったら止めようかくらいな感じでした。

――そうだったんだ。

髙柳 そうだったんですけど、とりあえずこれで首の皮が繋がりました。他愛ないもので今から読むと恥ずかしいものなんですけど。

蓮根堀り(あらすじ)
大学の冬休みの間、「この浦」でわかさぎ釣りをするのが習いになっていた「僕」は、ある朝、蓮田の泥の中から人の首が突き出ているのに気づく。男を泥の中から引き抜いてやった僕は、言われるがまま彼の家に立ち寄る。
それは蓮根を売った財で建てられた蓮御殿で、沓脱石の上には猫よりも大きいムジナがいた。僕は、おばあさん、おばあさんの妹、お手伝いさんからなる家族に迎えられ、釣果であるわかさぎは揚げ物にされることになった。わかさぎが揚がるまで、客間で向き合った僕と男はちぐはぐな会話を重ねる。
ふと、庭でムジナが動くのに気づいた僕が視線を戻すと男が消えていた……。

――それこそ、髙柳さんのご出身の浜松の有名な私小説家、藤枝静男を思わせるような。

髙柳 藤枝静男の影響ではないんですけど、なんとか載せなきゃいけないんで、モノを使おうかなというのはあったと思います。

――載ったのは4本ですけど、だんだん長くなっていくし、だんだん本格的な小説になっていく印象はあります。なにか摑めた感じはありますか?

髙柳 まだ全然摑めてないとは思うんですけど、小説といえば青春物みたいな先入観が無くなったのはよかったのかなという感じですかね。

――でも、ドストエフスキーを読んでたわけだから、小説といえば青春でもないと思うけど。

髙柳 『罪と罰』のラスコーリニコフとか、ああいう青年の文学が小説なのかなという思い込みがどっかにあったんだと思いますね。『カラマーゾフの兄弟』でも、イワンの主張とかに引かれてたので。だいたい小説というと青年が挫折をして一皮むけるみたいなのが本道なのかなと、でもそれがあんまり向いてなかったのかなと。

――この「蓮根掘り」と「高きに登る」と「蟹」の3作は短めの、いわゆる奇譚ですよね。だけど「降る音」になるとがらっと変わって私小説的な要素も強まってますね。

髙柳 せっかく俳人が書くものなので旅文学をやってみたいなと思って書いたのが「降る音」なんです。それも物理的な旅だけじゃなくて時間的な旅も入ってくると深くなるかなと思っていたら、だんだん私小説っぽくなってきた感じですね。

たまたまこれにとりかかっていた時、ご存じかどうか知りませんけど、澤田和弥君が亡くなってしまったので、彼のこともどこかに書き残したかったというのもありましたね。

降る音(あらすじ)
若手俳人の茅野(かやの)は、2014年の年明け、出版社から伊勢参りの紀行文の注文を受ける。前年に式年遷宮があり、今年が「おかげ年」にあたることから立てられた企画だった。
車を使うのが好適と思われたが、茅野は運転免許を持っていない。そこで運転手を買って出たのが、1年程前から押しかけ弟子になっていた梅木だった。箱根に泊まり、三島から沼津へとたどる旅は、だんだん茅野の故郷である浜松に近づいてゆく。
梅雨晴れ間の旅の情景の合間に、1年半程前の恋人・武子との別れや、その頃自殺した高校大学時代の友人・柿田をめぐる回想がさしはさまれる。

――この梅木と柿田に、澤田さんのいろんな面が分裂して配分されているのかなと思ったのですが。

髙柳 もちろんそのままじゃないんですけど、確かに分裂させて書いてると思います。主人公の茅野という名前は、私の苗字に柳という字が入ってるんで、同じく靡く植物で茅を出してきたんですが。れおなさんは澤田君には会ったことありますか?

――佐藤文香の第二句集が出た時にお祝いの会があったでしょう、そこで。初対面だったんですけど、いきなりにこにこ近寄って来て握手を求められました。

髙柳 ちょっと変わった奴でしてね。僕とは高校が同じで、進学したのがやはり同じ早稲田でした。同級生で他に早稲田に行った人がいなかったので、1年生の頃は結構接点があったんですけどね。

――俳句は、彼の方が髙柳さんを誘ったというふうにも聞いたんですけど。

髙柳 そうなんですよ。もともと高校まで僕は寺山修司ってノーマークだったんですけど、面白いから読めと澤田に勧められました。競馬のエッセイとかいいぞということで教えて貰って。寺山って若い頃に俳句と短歌を作っていたんで、それもあって大学では俳句やろうぜみたいな感じで誘われました。で、俳句研究会に行ったら津久井(健之)さんとか村上(鞆彦)さんとか日下野由季さんとかが居て。

――そこに髙柳さんが加わったらなかなか豪華ですね。

髙柳 でも、僕はあんまり、澤田君ほどはハマらなかったんですけどね、入ったばっかの時には。

――澤田さんはそうとうハマってた?

髙柳 そうとうハマってましたね。

――『革命前夜』(澤田和弥句集 2013年刊)にもその頃の句は入ってるんですか、少しは?

髙柳 入ってますね。『革命前夜』を出す時、いちおう事前に原稿を見せてもらってたんですよ、見てくれないかということで。初稿はすごい下ネタが多くて。下ネタ別に嫌いじゃないんですけど、なんか俳句になってない下ネタというのかな。それは止めろということで、その時はちょっと厳しく言いました。

もともと研究会に入った時からそういう傾向はあったんですけどね。女の子がいるじゃないですか、サークルの中に。その子が読んでキャアとかっていうのが楽しいみたいなところがあって。

――村上さんはその頃からあの調子ですか?

髙柳 基本的に澤田がちょっと変わってただけで、大学の俳句サークルとしてはかなり古典臭というのかな、伝統的な俳句を芸としてやろうというムードの方が強かったと思いますね。村上さんがいたからというのもありますけど。

――若い人たちの中に、あれぐらい上手い人がいると影響されるでしょうね。

髙柳 はい、かなりみんな影響されてたんじゃないかなと。

――でも、髙柳さんはなんで「南風」に行かなかったの?

髙柳 いや、今に至るまで村上さんとは志向が合うというわけじゃないんですよ。私は飯田龍太派で、向こうが森澄雄派で、いつも言い争ってました。

――そうなんですか。村上さんはスタイルは古典的に端正ですけど、森澄雄みたいに古典を踏まえるみたいなことはあまりないように思うのですが、それは僕の読み過ごしかしら。

髙柳 澄雄はもろに踏まえますよね、芭蕉とかね。でもなんか憧れてました、村上さんは。そういう雰囲気の中で、村上路線じゃないところを目指そうという気持ちはありました。早稲田の校風なのかな。れおなさんも早稲田でいらっしゃるけど。

――でも早稲田で俳句やってたわけじゃないですから、大学の頃から書いてはいましたけど。

髙柳 ちょっと反抗精神があるんじゃないんですか。慶応のサークルとも交流してたんですけど、ほとんどホトトギス系で、本井(英)さんの「夏潮」とか「惜春」とか「若葉」とか、だいたい学生もそれらの結社に入っていくんですけど、早稲田はみんなばらばらでしたね。

――指導する俳人というのはいなかったんですか。「降る音」では、郵政省の役人をやっている俳人が指導に来てるというふうに書いてあったけど。

髙柳 あれはフィクションですね。いちおう「海」の主宰の高橋悦男さんが月に1回来てはいました。高橋さんは早稲田の社学の英語の先生でしたけど、みんなあんまり言うこと聞いてなかったですね。ほんとにばらばらで、そこはちょっと慶応との違いなのかなと。

まあそうした澤田との大学の思い出をそう詳しく書くつもりじゃなくて、基本的には『東海道中膝栗毛』みたいな道中記を楽しく書ければと思っていたんですが。

――伊勢神宮のレポートを書くための取材旅行というのはフィクションですよね。文藝春秋に東北の方で紀行文を頼まれた経験を踏まえてるんでしょうけど。

髙柳 それは一応踏まえつつも、自分で四日市とかまでは行って来て、取材旅行みたいなのはしてます。ただ、それは個人的なものでしたけど。

――「降る音」の中で、自殺の名所のK岬で迷子を拾って云々といったあたりは、「野ざらし紀行」から来てるんでしょ?

髙柳 そうです。さすが見抜いて下さって。

――梅木が女絡みで脇道にそれて、茅野と別行動をとるのは、「奥のほそ道」の最後で曾良と別れるあたりを重ねてるんでしょうけど。

髙柳 梅木の元恋人の家でのエピソードは、「野ざらし紀行」の最後に芭蕉がお母さんの遺髪に泪した場面から来ているというふうに、芭蕉の紀行文をいろいろ織り交ぜてるんですが。

――なるほどねと思いつつ読んだんですけど、でもなかなか普通の小説の読者は分からないでしょう? そこは痛し痒しだよね。

髙柳 そこはもし分かってくれたら嬉しいけど、分からなければそれはそれでという。

――ということでしょうね。

髙柳 俳人の書く散文というのは、旅文学か庵文学かどっちかなんですよね。庵文学というのは「幻住庵の記」みたいなもののことですけど。自分としては両方書きたいなというのがあって、まずは旅文学からやってみたということです。

――そういう仕掛けもありつつ、澤田さんのことも書いてるし、自分のこともいろいろ変化させながら書いているということでしょうか。

この主人公の茅野というのは、観察至上主義というか写生主義者として描かれてるんですが、その辺はご自分のナマな思いなんですか?

髙柳 いや、自分は結構、叙情派かなと思っていて、かなり情が入ってくるタイプだと思ってるんですけど。

――ただ今回、句集以後(『未踏』以後)の句を「鷹」のバックナンバーで確認したんだけど、それこそ村上さんと比べると彼の情の出し方のほうが分かりやすくはありますね。自意識の翳りみたいなのを即物的な表現に乗せるのがすごく上手いじゃないですか。

そこへいくと髙柳さんの句集以後で僕が一番感心したのは、〈ビルデイングごとに組織や日の盛〉という句で、それに限らず、情というよりは認識を語ってるタイプの句がいいなと思ったんですけど。

髙柳 それは自己評価としては思ってなかったですね。茅野と自分の俳句観は全く違うということで書いたつもりなんですが。

――せっかく芭蕉も踏まえた紀行文になっているわけだから、ここに俳句が出せるといいんでしょうけど、そこはなかなか大変なんでしょうね?

髙柳 そうなんですよ。ほんとは入れたかったんですけど、実際に入れるとなにか濁るんですよね。これまで没になった原稿の中には、結構もろに俳句を挟んだものもあったんです。でもそうするとそれが目立って、俳句の方が勝ってしまって物語の方が負けちゃってるというような、編集からの評を貰ったりもしました。

「降る音」でも、茅野が作った句とか、あるいは周りの梅木や柿田なんかが作った句を入れられれば、それはそれで面白かったんでしょうけど、そこにハマる句が出来なかったし、流れの中にうまく入れられなかった。散文と俳句の照応は夢ではありますけど今回はまだ出来なかった。

――「蟹」の方にはトランプの句を洒落た感じで埋め込んでありましたが。

髙柳 あれは遊びですよ。完全にいたずらみたいなものです。

(あらすじ)
詩人のMは、3年前、無数の蟹の襲撃によって壊滅した島にやってきた。復興予算の余りで画家や作曲家やカメラマン、小説家が島に派遣され、復興を記録したり励ましたりする作品を作ったが、さらにその残金で呼ばれたのがMだった。 Mの任務は、島の高台に建てる予定の記念碑に刻む詩を書くこと。Mを《復興委員会》に推薦したのは蟹の島の近くの島で高校の理科教師をしている旧友の宝だった。
与えられた一か月の取材期間中に島で起こる出来事が描かれるが、そこにMが昔、宝のために宿題の俳句を代作して「揚羽蝶をつまんだら、トランプみたいだっていう」句を作った思い出話が出てくる。

――ここはこういう形で俳句を取り込んだのかと思って読みましたけど。

髙柳 小説は小説でほんとに奥が深くて、まだ何年もかかりそうな感じがします。散文と韻文って結構垣根があるというか、散文書く人は散文だけだし、韻文書く人は韻文だけですよね。

どちらかというと韻文の人の方が保守的なところがあって、文章を書く人は俳句が駄目になるとか言われるじゃないですか。だから小説なんか書き始めて俳句が駄目になるぞみたいなことを言われるかなと思ったし、自分でもそうなる危険性もあるかなと思ってたんですけど、今のところ俳句が作りづらくなったとか、あるいは逆に小説の方が書けなくなったということもなく、いちおう自分の中では同居しているので、今の形でこのままやっていければなと。

言いませんか、エッセイとか書いてる人は俳句が鈍るって。

――「鷹」ではよく言うんですか?

髙柳 龍太が結構そういうことを言われて、でも自分は文章の方も頑張ったんだって書いてるんです。龍太ってエッセイも面白いじゃないですか。でも結構それを周りに言われて大変だったこともあるようです。

――それは批評も含めてそういうことを言うのですか?

髙柳 だと思いますね。

――でも歴史的にトップの俳人は大抵文章もたくさん書いてますよね。だいたい虚子は小説家なわけですから。

髙柳 そうなんですよ。自然なことかなと思ってたんですけど、龍太がそう言ってるんです。長谷川櫂君もそれで苦労しているようだ、みたいな感じで書いてました。

――そういうことを詰まらない人が言った例もあるのかも知れないですけど、それが一般的な世論としてあるとは思えないけどなあ。龍太が嘘ついているか、あるいは被害者意識、被害妄想ということもあるかも知れない。基本的には頭のいい人の方が俳句も文章も上手なんですから、それはパラレルの関係になるわけでしょう。

髙柳 パラレルが常識だと思うんですけどね。ともかく文章も磨きたいなという思いはあったんで、ほんとに良い機会を与えていただいたいてます。

――僕は文芸の方の編集はやったことがないのですが、結構細かい具体的なことまで言われるのですか?

髙柳 そんなには言われないですね、思ったよりも。でもやっぱり私が俳人だからか、結構端折って書くことが多いので、その端折ってる部分を書いて下さいと言われることはありますね。

――そうね。例えば「蟹」でも、あの女子高生と寝る場面、あそこは…。

髙柳 あそこはちょっと叩かれたんですけど。

――あそこをしっかり書くのが小説だろうとは思いましたけどね。

髙柳 ちょっとね、恥ずかしくて飛ばしちゃったんです、もう分って下さいみたいに。読者に対する甘えですよね。

――甘えとは言わないけど、この辺はまだ練れてない部分かなとはあれを読んだ時には思いました。(註……ただし、今回再読したところ、この場合の省筆はむしろ妥当かと印象が変わりました)

髙柳 いや、恥ずかしいなあ。ああいうところがまだ足りてないかなと思います。でも、でもやっぱり文章を書くにしても俳句を作るにしても、クリシェを避ける、決まり文句を避けるとか、自分の文体を作るとかっていう点では同じだし。

――文体という点ではどうですか。季語をやたら意識した文章になっているなというのは印象としてあるのですが。

髙柳 私もいろいろ考えちゃう方なので、俳人が書くものだから季語を入れた方がいいよなみたいな。

――「文學界」の人はなんと仰ってるのでしょう。要するに俳句をやってる人間だとあっまた季語だって分かるし、こだわりすぎではと感じられる場合もあれば、普通の散文の人、小説家では出来ない光の当て方をしてるなと思う場合もありケースバイケースですけど、俳句やってない人はそもそも季語という意識は無いわけじゃないですか。

髙柳 まあそうなんですけど、いちおう自然を取り上げるというのは意識してますね。例えばさっき家の前に赤い花があったのを、カメラマンの方は赤い花がと言ってましたけれど、赤い花が咲いていたと書くのは抵抗あるんです。やはり木瓜の花が咲いていたと書きたい。だから自ずと季語が増えてくるところはあるでしょう。

あとは単純に俳人が書いた小説という看板を掲げる以上は、サービス精神じゃないですけど、そうやった方がいいのかなとも思いまして。

――そういうことかなとは思いつつ按配は難しいところではありますよね。例えば、谷崎の「吉野葛」とかは驚く程すぐれた自然描写がありますが、でもよくよく読むと案外アバウトだったりもします。

髙柳 「吉野葛」は素晴らしいですよね。私も感動しました。それこそ俳人が読んだら感動するでしょう。素晴らしいですよ、川の描写とか。

――「吉野葛」じゃないんですけど、最近、「蓼食ふ虫」でヒロインが朝食を摂るシーンを写真にしようとしたんですが、じつは描写がすごく曖昧なんですよ。写真とか絵というのは道具立てから何から全部を具体的に決めていかなくてはいけないわけですが、そういう意味では全然細かく書かれていない。

髙柳 そういう曖昧さですね。具象性。

――具象性。単に文章として読んでる時は全然過不足なく了解できるんだけど、いざそれを具体的な絵に落としこもうとするとたちまち曖昧になる。写真で言うとソフトフォーカスというか、決して全体にがちがちにシャープネスを合わせている文章というわけではないんです。

髙柳 確かにそうなんです。僕自身、ちょっと写実主義というかリアリズムに拘っているのかなというのはありますね。4Kのテレビでパシッと映すような映像じゃなくて、朦朧体とまではいかなくてももっとぼかすというのがほんとは小説の文体としては魅力的なのかも知れない。でもちょっとそこにまだ至れないので、とりあえず現実を生々しく感じさせられたらなと思っています。

――まさに描写がしっかりしているという意味のことを、新聞の文芸時評で田中和生さんが書いてましたね。

髙柳 でもそれはごく素朴な近代主義なので、ほんとにここからという感じですよね。奇譚を書いてるから、リアルを忘れないようにということでバランス取ってるところもあるんですけど、谷崎の「吉野葛」なんかは現実を、ちゃんと記録的な感じで書いてるんですけど幻想性がありますものね。

――蓮實重彦が「吉野葛」について書いてるんですが、時間設定とかがおかしいというか、どこの時点から何を見ているかがよくわからないというか、論理的には説明できないような微妙な書き方がいっぱいあると指摘してました。それも計算づくというのではなくて、一種の呼吸みたいなものだと思うんですけどね。

髙柳 あれは計算して書いては出来ないでしょうね。僕は逆に計算しちゃってるので、バランスを取ろうと思ってこうなってるのかなと思いますね。

――それはもう数を書くしかないでしょう。

髙柳 それはそうだと思います。僕は、文体で言えば大江が好きなので、大江っぽい文体になっちゃってるのかもしれません、リアリズムとか比喩表現の多さといったあたりは。もちろん全然及んではいないんですけど。

――やっぱり比喩表現は意識的に多めに入れてる感じですか。直喩が目立ちますね。

髙柳 多めだと思います。好きなものですから。

――それも、4作の中で見てもだんだんうまくなってるというか、こなれていっている感じがします。例えば2作目「高きに登る」の〈若者の血潮のように赤い花が、溌剌と群れ咲いている。〉というのはいかがなものかと思ったんだけど。

髙柳 大江の真似して失敗したみたいでちょっと恥ずかしいな。

――でも「蟹」になると〈ケーキ皿からケーキが消えて、アルミの皿が後に残るように、島はからっぽになったのだ。〉という具合にだいぶ洗練されてます。

高きに登る(あらすじ)
明治初期の特異な俳人・蟇目沙中土(ひきめさちゅうど)を研究する「僕」は、沙中土に興味を持つ編集者の「筥崎さん」と共に、文学研究者仲間のハイキング登山に参加した。駅の売店で、弟が就職した郷里の食品メーカーが製造した「鯖棒寿司」を見つけた僕はそれを購入し、「こんな山の駅でも売ってたぞ!」と弟に携帯メールを送る。
やがて山に馴れた一行から遅れた僕は、空腹を覚えて棒鯖寿司を食べたが、その直後、両手の爪の先が「濁った金色」に染まっているのに気づく。変色は徐々に広がり、自分が鯖になりつつあるのを悟った僕は、水で洗い落すことに望みをかけて水音のする方へ向かう。滝にたどりついた僕は、そこにいた男から一緒に滝行をしないかと誘われ、滝に入ってゆく。

――どうですか、「降る音」となるとかなり長いし、普通の意味で書く苦しさはあったでしょうけど、澤田君のこととか私小説的要素を盛り込むことの楽しさ苦しさみたいなものもあったでしょうね。

髙柳 実際の人物をモデルにするわけですから、確かに周りの例えばご親族とか澤田君の他の友達なんかはよく思わないだろうなとも思いつつ、しかしあまり倫理や道徳に縛られてもいけないなみたいな気持ちもあって、でもやっぱりそれは苦しみでもありますよね。

今まで自分自身のことを俳句でそんなに出してこなかったところがあるので、今回の茅野はあくまで作った人物ではあるんですけど、自分の俳人としての生活とか、今まで言わなかったような本音の部分も結構書いてしまっているので、その気恥ずかしさみたいなものもあったし。苦しみはそこかな。

でも基本的には楽しかったです。自分が今まで書いたことのないものを書くという単純な開墾する楽しさがあったし、自分が俳句を始めるに至った経緯とかを自分の記録としてある程度は書けたかなという手応えもあります。そういう意味では楽しかったというか良かったと思いますね。

もちろん課題もあって、今までの話にも出てきましたけど、旅文学として時間を取り込もうとしながらも、その時間の射程がまだまだ小さかった。ちらっと江戸時代のお伊勢参りのことが出てはきますけど、もっと時間を遡って東海道を行き来したいにしえの旅人とかを絡められたらよかったのにと思いました。いずれはそういう時間の旅文学というのをもっと掘り下げたい。

――どんどん書いてこなれてくれば、現在と過去を入れ子にしたりとかいろんなことができるでしょうね。

髙柳 そうなんですよ。そこら辺のテックニックをまだまだ身に付けないですね。

――でも、「高きに登る」にはすでに、放哉と井月をこき交ぜたような、蟇目沙中土という俳人も登場してますね。

髙柳 変な名前ですけどね。

――架空の過去の俳人を作り出そうとしてるんですけど、こういうのだって俳句そのものが入れられるとすごく面白くなりますよね。

髙柳 そうですよね、確かに。だから、芭蕉ないし芭蕉的人物を出して、現代小説なんだけど過去の時代の折々の意識なんかも織り込めたらなというところはあるんです。それが課題ですかね。

――俳句の方は順調ですか。「降る音」の茅野は、ハケン俳人が登場してから俳句が不調になったという設定ですが、髙柳さん自身はそんなことはないわけですね。

髙柳 あんまり不調とか、そういうことは感じてないですね。

――不調と言ったら私は不調の権威ですから。全然作ってないですから。もともとたまに気が向くと作るだけでしたけど。

髙柳 私は自分で作りたいというよりは外圧で作る方なので、小説もそうなんですけど、書いてみませんと言われたら書くし。俳句も結社に属していると毎月〆切りがあるし、雑誌なんかの依頼もあるので。そうしてると不調というのはあまりないですね。

――私は毎月の〆切りという作り方をしてこなかったので。

髙柳 自分は結構焦りがあって、三十五歳になったんですけど、今書けるだけ書いておかなきゃまずいぞっていう、常になんかそういう意識があるんですよ。いつか書けなくなるんじゃないかという意識が。別に不調というわけじゃないんですけど、今書けてても明日には書けないかも知れないしという強迫観念みたいなものをずっと持っていて、不調と言って書かないと後からもっと後悔するかなあという。なんかわけも無い、昔からの癖なんですけどね。

とにかく、自分としては「降る音」を一つの足掛かりにして、俳文じゃないですけど俳人が書く小説といった意識で書いていきたいなというのはあります。次は現代の庵文学みたいなものが書きたいですね。



髙柳克弘五十句 高山れおな選

第一句集『未踏』(二〇〇九年 ふらんす堂)より
ことごとく未踏なりけり冬の星
やはらかくなりて噴水了りけり
名曲に名作に夏痩せにけり
満目の枯みづうみに水輪なし
何仰ぎをるやおでん屋出でしひと
つまみたる夏蝶トランプの厚さ
うみどりのみなましろなる帰省かな
晩夏なり地に膝つきてエレキギター
秋の暮歯車無数にてしづか
ストローの向き変はりたる春の風
キューピーの翼小さしみなみかぜ
蜘蛛の囲の端やポピーをひつぱれる
かよふものなき一対の冬木かな
枯原の蛇口ひねれば生きてをり
秋冷や猫のあくびに牙さやか
はばたきに鳥籠揺るる愁思かな
秋蝶やアリスはふつとゐなくなる
焼薯屋進むあやふきまで傾ぎ
口中に薄荷の冷やかたつむり
まつしろに花のごとくに蛆湧ける
鳥渡るこんなところに洋服屋
刈田ゆく列車の中の赤子かな
缶詰の蓋に油や冬の滝
絵の中のひとはみな死者夏館
洋梨とタイプライター日が昇る

第二句集『寒林』(二〇一六年 ふらんす堂)より
浜草履いんちきくさき色したる
吾に手紙落とす鳥来よ秋の昼
歳晩や次の人打つ酒場の扉
眠られぬこどもの数よ春の星
人は鳥に生まれかはりて柿の空
いのちなき影が鶏頭とほり過ぐ
ぼーつとしてゐる女がブーツ履く間
バス発ちて寒き夜景に加はれる
  災害の地にて
瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ
サンダルをさがすたましひ名取川
月とペンそして一羽の鸚鵡あれば
藻を踏みて蝦のあゆめる秋日かな
もう去らぬ女となりて葱刻む
川暑しあれこれ草に引つかかり
ぶらんこに置く身世界は棘だらけ
愚かなるテレビの光梅雨の家
ぺらぺらの団扇を配る男かな
冷房に黒き想念湧きやまず
見る我に気づかぬ彼ら西瓜割
ビルディングごとに組織や日の盛
見てゐたり黴を殺してゐる泡を
寒鯉のしづけさは子にうつりけり
すぐ忘る噴水にゐし人のかほ
この世から消えたく団扇ぱたぱたと
新幹線キーンと通る墓洗ふ

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