2017-09-10

福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第1弾 歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。

福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第1弾
歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。

聞き手:西原天気
Q●
福田くん、こんにちは。第一句集『自生地』上梓、おめでとうございます。それを記念してのインタビューの初回として、「ジミ・ヘンドリックス愛」について語っていただこうと思います。まず訊きたいのは、最初に聴いたときのこと。覚えていますか?

若之●
それと知らずに聴いていたことはあるかもしれませんが、それと意識して聴いたのは、じつは映像を通してです。なんと、大学の授業。当時、僕は1年生だったのですが、先生に言って、本来は2年生以上向けに組まれたカリキュラムに混ざって受講していました。たまたま目にしたシラバスがあまりにも魅力的だったもので。授業のテーマはたしか「サイケデリック」かなにかだったと記憶しています。ある日の講義で、1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルのライヴ映像を観たんです。もうね、その映像がすさまじくて。

Q●
ギターを燃やすシーンが有名なライヴですね。

若之●
まずその前にステージに上がっていたのがザ・フーなんです。記録によれば、どうやら直前になってジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・フーが出演順でもめたあげく、コイントスで決めたらしい。例によって例のごとく、「マイ・ジェネレーション」を演奏した終わりにピート・タウンゼントがギターをアンプにたたきつけてぶっ壊すパフォーマンスをやった後です。

僕にとっては、それだけでもけっこう衝撃的だったんですよ。そしたら、次に出てきた人がめちゃめちゃ良い演奏を披露した挙句、歯で弾き始めた(笑)

Q●
ザ・フーとジミヘン。すごい体験でしたね。生まれてはじめて行った中華屋で、フカヒレとアワビを食べちゃったみたいな。

若之●
そうそう、それまでロックなんてほとんどちゃんと聴いたことありませんでしたから。ロックンロールとロックの違いもよくわからず、エルヴィス・プレスリーとビートルズくらいの、それも漠然としかイメージを持っていないような状態で、それを観たわけです。

Q●
ザ・フーとジミ・ヘンドリックスは、1960年代後半、「ライヴで魅了するロックミュージシャン」として最高の位置にいたと思っています。時代を限らずとも、そうかな? 個人的には、このふたつの人/人たちは、ロックの最もカッコいいパフォーマンスを実現した双璧だと思ってるんです。そのふたつに大学の授業という意外な場所で出会うとは、なんと貴重な! で、聞きたいのは、そのとき、ザ・フーじゃなくてジミヘンだったのは、なぜ? ギター壊しよりも歯、イギリスのあんちゃんたちよりもジミヘンに惹かれた理由は? 出演順が逆だったら、「ザ・フー命」になっていた可能性は?

若之●
いやいや、歯ギターは映像としては序の口なんですよ(笑)。続きがあって、そのあと、火つけるところまでいく。で、このギターを燃やすシーンがね、なんかうまく言えないけどすっごくエロかったんですよ。恍惚する感じ。ギターを女体に見立てるとかそんな生易しいものではなくて、ほとんどギターそのものとセックスしているみたいな感じです。で、それを見ながら、あ、この人の「音楽」に匹敵するくらいなにかすごいことを俳句でやりたい、って思った。これは、ザ・フーのあのパフォーマンスには感じなかったことですね。だから、順番は関係ないです。



Q●
なるほど。

若之●
モンタレーの映像でほかにそれに近いことを感じさせてくれたのは、ジャニス・ジョプリンオーティス・レディングでした。

Q●
いずれも夭逝ですね。ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョップリンが27歳、オーティス・レディングは26歳で亡くなっています。

若之●
そうか、僕、いま、オーティスが死んだ歳なんですね。オーティスの死んだ理由は飛行機の墜落なので、あとのふたりとは事情がすこし違っていそうですが、みんな、どうして早死にしちゃうんだろう……やっぱり、生きててほしかったですねえ。

ザ・フーに話を戻すと、僕は1970年のワイト島のライヴ盤が好きです。アルバムがどんどんコンセプチュアルになっていく時期があって、ロック・オペラとかをやりだす、あのあたりのザ・フーが好きなんです。これは、モンタレーよりはちょっと後のはず。1967年というと、『セル・アウト』がちょうどこの年ですね。これは、ハインツのベイクド・ビーンズをはじめとする実在の商品についてのコマーシャル・ソングを勝手にでっちあげて収録曲のあいだに挟みこんだり、同じくでっちあげのジングルを挿入したりして、全体を海賊ラジオ局の放送風に仕立てた一枚です。ザ・フーのアルバムがコンセプチュアルになっていくのはたしかこのあたりからではなかったかと思います。同じ年にビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を出していて、あれも実にコンセプチュアル。

Q●
『サージェント・ペパーズ~』の衝撃から、第一線のロックバンドがスタジオ録音、凝った音作りを志向する流れができていく一方で、67年モンタレー、69年ウッドストック、70年ワイト島と、伝説的な大規模野外ロックコンサートが連続した。ロックにとって新しい時代が始まった感じです。ウッドストックのジミ・ヘンドリックスは「星条旗よ永遠なれ」から「パープルヘイズ」。あの映像は、いつ観ました?

若之●
その映像を見たのは、しばらく経ってからだったように思います。あの「星条旗よ永遠なれ」から「パープルヘイズ」へっていうのはジミヘンのライヴではお決まりの流れですけど、そのつなぎ方が抜群にかっこいいんですよね。あの映像の何がすごいって、あれだけやっていながら、「星条旗よ永遠なれ」が曲としてばらばらに崩壊したりせず、ちゃんと一続きの音楽になっているところ。単純にハチャメチャをやっているようでいて、実はすごく洗練されている。

Q●
ハチャメチャではないですよね。例えば、テンポ感。等間隔というのではなくて、みごとにコントロールされたテンポ感。一方で、あれを初めて聴く/見る少年少女には、きちんと「ハチャメチャ」に映る。

ところで、モンタレーでは黒のストラトキャスター、ウッドストックでは白のストラトキャスター。若之くんが最初に見たのがウッドストックなら、白のストラトを買っていたと思っているのですが、それはそうなのですか?

若之●
実は、ギターを買ったのはジミヘンに触れたことが直接のきっかけではないんです。僕が大学2年の1月、サークルのひとつ下の後輩がゲーム店の福袋を買ったなかに、『ギターヒーロー3』というプレステ2用のソフトと専用のコントローラーが入っていたんです。

これはギター型のコントローラーで遊ぶ音楽ゲームなのですが、ちょっとかさばるし、本人はあまり興味もなかったらしく、まもなくそれらはサークルの部室に置かれることになりました。

Q●
ひゃあ! ゲームから? 世代ギャップを感じます。

若之●
これが音楽ゲームとしてはけっこう完成度が高くて、けっこう楽しかったんですが、やっぱりおもちゃはおもちゃ。ソフトに入っている曲をゲームとしてプレイできるというだけで、ほんとうに音楽を弾けるわけではありません。結局は本物に触ってみたくなって。

Q●
そら、そうなるわな。

若之●
しかも、あのゲーム、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロが出て来たりするのはいいんですけど、選曲がややメタル寄りな感じで、ジミヘンもジェフ・ベックも一曲も入ってなかったし! というわけで、その年の春休みには、立川のリサイクルショップで安いギターとシールドとアンプを買っていました。いま弾いているフェンダー・ジャパンのストラトではなくて、ぜんぶ合わせてたしか6,000円くらいの、ほんとの安物です。でも、やっぱり黒のストラトで、しかも指板はローズウッド。ジミヘンのスタジオ・アルバムでは『アー・ユー・エクスペリエンスト?』をいちばんよく聴いていたということもあって、ほぼ同時期にあたるモンタレーのジミヘンを少なからず意識していましたが、単純に、ストラトの造形ではその店に並んでいた他の色よりも黒に惹かれたというのも大きいです。それまでギターに触れたのは、中学校の音楽の授業でアコースティックギターをほんのすこしだけ。そのときは、ほとんどまともに音を鳴らせないまま終わりました。

Q●
『アー・ユー・エクスペリエンスト?』はファースト・アルバム。最初に買ったジミヘンのアルバムも、それ?

若之●
ええ、それはもうモンタレーの映像を観てまもなく買いました。オリジナル版の曲に加えて、ボーナス・トラックとして1stから3rdシングルまでの曲も入ったCDです。いまはなきディスクユニオン国立店でのことでした。

Q●
私はもっぱらライヴ録音を聴いてきたので、その『アー・ユー~』は未聴。さっき聴いてみると思いのほかサイケデリックな音ですね。

若之●
それを聴きまくって、大学最初のレポートで、僕はジミヘンのことについて書いたんです。具体的には、「ストーン・フリー」の読みかえをしました。歌詞カードなんかを見ると、曲中で連呼される"stone free"という言葉が「完全な自由」って訳されている。これを、"smoke free"(「禁煙」)に類する表現ととって、「麻薬でハイになることなしに」という意味を掛けてあるものとして読み解きなおしたんです。要するに、「完全な自由」は「麻薬でハイになることなしに」のものであるはずだ、と。「石」の意味では見慣れていたはずのstoneという語の意味の多様性に驚かされました。この歌詞の読みときから入って、細かいことは忘れちゃいましたけど、明確に麻薬的な曲である「マニック・ディプレッション」との音楽的な違いなんかにも言及して、「ストーン・フリー」を麻薬なしの音楽として捉えなおしたわけです。この読みでは、「麻薬中毒のジミヘン」という一般的なイメージとは異なる姿が浮かび上がってくる。さらにそれを伝記的な資料と照らし合わせながら、ヘンドリックスは音楽において麻薬なしの自由を志向していたのだ、みたいな結論を書いて。

Q●
聞き込みましたねぇ。歌詞カードとかの訳詞って、とくに昔はめちゃくちゃでしたからね。ま、stoneは石じゃないよね(笑)。「完全な」では、もっとない。freeは自由じゃなくて「ナシ」。「free」って「自由」と誤訳されることが多いですね。「タダ(無料)」を自由と訳しちゃったり……。そうすると、いちばん好きなアルバムも、これってこと?

若之●
そうですねえ、アルバムとしては、いまでは『アクシス――ボールド・アズ・ラヴ』のほうがより好きかなあと思います。『アー・ユー・エクスペリエンスト?』もめちゃくちゃ好きなのですが、その上をいく感じ。あと、エクスペリエンス解散後の、バンド・オブ・ジプシーズの時期なら『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』。カットされている演奏があるのは残念ですが、アルバムとしてはよくできていると思います。ディスク2冒頭の「オールド・ラング・サイン」――あの「蛍の光」の原曲ですが、これは年越しライヴならではの粋なパフォーマンスでした。

Q●
ついでだから、聞いておきましょう。ベストのライヴアクト、YouTubeで聴けるなかから1曲選ぶとしたら?

若之●
ライヴは、ほんとうは、4枚組のボックスセット『ステージ』に収録の1枚に収められた、1969年5月24日のサンディエゴでのライヴの「レッド・ハウス」が最高にシブくてかっこいいのですが、YouTubeに音源がない……。ここは、せっかくなので、好きな演奏のなかから、ジミヘンの演奏があまり知られていないだろう一曲を紹介しておきます。「ディア・ミスター・ファンタジー」。スティーヴ・ウィンウッドが在籍していたトラフィックの曲のカヴァーです。



Q●
おお、変則で来ましたね。

若之●
あと、これは余談ですけど、「レッド・ハウス」のシブくてかっこいい演奏としては、最晩年のジョン・リー・フッカーによるカヴァーもいいですよ。なんというか、凄みがある。

Q●
ジミヘンで好きなエピソード。なにかありますか?

若之●
まず思いつくのは、シャ・ナ・ナの話。クラブで偶然シャ・ナ・ナのパフォーマンスを観て彼らのことを知って、彼らがウッドストックに出演できるように、フェスティバルのプロデューサーに推薦したんだそうです。シャ・ナ・ナのライヴ・パフォーマンスは、僕、最高に愉快だと思います。

Q●
ジミヘンの推薦だったとは、知りませんでした。驚き。ジミヘンとはぜんぜん違うノリの音楽なのにね。シャ・ナ・ナは、ウッドストックの出演者のなかで異彩を放っていました。

若之●
あともうひとつ、1961年から1962年にかけて、彼は陸軍に所属していたのですが……。

Q●
軍服でギターを持っている写真が残っていますね(≫画像)。

若之●
そのころ、デューク・エリントンの「イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー」をレコードで聴きながら、いつかあの音をギターで出してやるんだと友人たちに言って、ますますこいつはバカだと思われたという話です。

その後、1965年、アメリカのトーマス・オルガン社のエンジニアがアンプのミッドレンジブースターを改良中に、偶然、ワウ・サウンドの原理を発見して、エフェクターとしてのワウペダルの開発がはじまり、1966年にプロトタイプがジミヘンの手に渡ったとか。それまで与太話としか思われていなかった夢がひょんなことから実現できるようになった結果が、たとえば、『エレクトリック・レディランド』の「雨の日に夢去りぬ」と「静かな雨、静かな夢」かと思うと、ちょっと胸が熱くなります。



Q●
「イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー」をギターで、というジミ・ヘンドリックスの夢も、1974年、スティーリー・ダンによって実現されるわけです。2枚目のアルバム『プレッツェル・ロジック』のA面最後

若之●
おおー、本家よりもワウワウしてる、たのしい! 

Q●
ギターはおそらくジェフ・バクスター。軍事マニアが昂じて、後年、米国防総省顧問を務めることになる人です。

若之●
それにしても、「静かな雨、静かな夢」って邦題はよくないですね。アルバムのうえでの二つの曲の関係を考えれば、"Still Raining, Still Dreaming"の"still"が「静かな」という意味の形容詞としてじゃなくて「いまだに」という意味の副詞として用いられているのは明らかです。「まだ降っている、まだ夢見ている」とでもすべきところ。聴いてないひとが訳したんじゃないかと疑うレベル。

Q●
あはは。さっき話したスティーリー・ダンの2枚目も当初『プリッツェル・ロジック〜さわやか革命』と、わけのわからない副題が付いていたようです。

若之●
まあ、ちょっと真面目な話をすると、「静かな雨、静かな夢」の誤訳は、"Rainy Day, Dream Away"を「雨の日に夢去りぬ」と誤訳したことに端を発したものでしょう。"dream away"は、"the dream has gone away."といった表現とはおよそ真逆の、「夢見心地で過ごす」という意味の熟語です。だから、原語の脚韻の良さを意識して訳すなら、たとえば「雨の日、夢見心地」とかそんな感じ。それを「夢去りぬ」と訳してしまったので、"still dreaming"を「まだ夢見ている」と訳すのが不自然に感じられてしまったのではないかと思います。夢は去ってしまったはずなのに、どうして「まだ」ということになるのかわからないから、間違った文脈の判断で「静かな」とやってしまったのではないかと。

Q●
洋楽業界では日常的にその手の失敗・事故が起こっていそうです。私は邦盤を買う習慣がなかったので、あまり被害は受けていないのですが…。では、最後に、ジミ・ヘンドリックスに関する書籍でオススメはありますか。

若之●
そうですね、本を通じてヘンドリックスそのひとに触れるというのであれば、個人的にいちばんのおすすめはトニー・ブラウン編『クライ・ベイビー――ジミ・ヘンドリックス語録集』(上田茉莉惠訳、アップリンク、1998年)です。きっと編者の手柄なのだと思うのですが、この本のヘンドリックスはとても生き生きしていて、そのつど核心をつくようなことを語ってくれています。

より資料性の高いものとしては、スティーブン・ロビー編著『ジミ・ヘンドリクスかく語りき――1966-1970インタヴュー集』(安達眞弓訳、スペースシャワーブックス、2013年)もあるのですが、こちらは書名のとおり「インタヴュー集」なので、インタヴュアーの言葉やライターの文章にさえぎられるようなところがあって、ヘンドリックスそのひとに触れるつもりで読むとすこしじれったく感じられるかもしれません。

評伝であれば、チャールズ・シャー・マリー『ジミ・ヘンドリックスとアメリカの光と影――ブラック・ミュージック&ポップ・カルチャー・レヴォリューション』(廣木明子訳、フィルムアート社、2010年)をおすすめします。読みやすい筆致で、語られているエピソードも興味深いものが多く、ヘンドリックスの音楽を、他の音楽ジャンルやミュージシャンたち、あるいは、アメリカの文化や社会とのかかわりを押さえながらより深く知ることができる、優れた一冊だと思います。

最後に、コアなファン向けには、ビル・ニトピ編『ジミ・ヘンドリックスの創作ノート』(廣木明子訳、ブルース・インターアクションズ、1996年)。これは、ヘンドリックスが手書きした歌詞の草稿などを集めて、一枚一枚、図版として掲載してあるという代物です。直筆フェチのみなさんはぜひ。

Q●
いろいろとおもしろい話が聞けました。ジミ・ヘンドリックス愛もよくわかりました。ありがとうございました。





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