2017-09-17

【週俳8月の俳句を読む】一度はなれて 青本瑞季

【週俳8月の俳句を読む】
一度はなれて

青本瑞季


樫本由貴「緑陰」30句は表題句〈原爆以後この緑陰に人の棲む〉のほか、〈水馬やみづのまだらを被爆以後〉など、原爆にまつわる句がところどころに差し込まれ、かつて原爆を落とされた広島の街の現在を詠んだ連作という印象が強かった。

発表が8月6日だったということ、自分が作者同様広島出身であるが、広島を離れてからは原爆への問題意識も、薄れていたことから原爆の土地を中心に据えて俳句を詠むという地域に根ざした問題意識はさすが広島にずっと住んでいる人だと、一瞬その作句態度に終始した評価をしてしまいそうになった。

これだけ原爆関連の句が入っているので主題が原爆でないとするのには無理がある。けれど、この強い主題の中で詠まれたものを、その主題を取り扱おうとする態度のみで無条件に是としてよいのだろうか。原爆、震災、戦争、道徳的なものが絡んで来る主題をあつかうときその主題を扱うこと自体の態度論を褒めることは作品の表層に触れたことにしかならないだろう。ひとまずその文脈から離れて(あえて離して)この連作の句を読んでみたいと思う。

あをぎりの裂傷鳥のこゑのなか  樫本由貴

主題通りに読めば、平和祈念公園の中にある被爆アオギリのことになる。提示されるのはその古傷だ。

けれど、この連作の外に置かれたなら単に青桐の生々しい傷、匂い立つような新しい傷に鳥の声が染みていくような感覚と読んだかもしれない。こゑのなか、と止めるぼんやりとした終わり方が効いている。

どの碑にも蟻ゐるそれも大きな蟻  同

これも平和祈念公園内に散在する石碑のことだとわかるが、そこを読もうとしなくても石碑が多くあるところとまで確定できればこの句を読むことができる。たとえば史跡でもありうる景。石碑が置いてあるところというのは、なぜか周りに木があることが多く、そのせいか小さな蟻よりクロオオアリが多い。目が効いた発見の句だ。

七夕にながき昼あり血を病んで  同

被爆の後遺症としての白血病は色々な作品として扱われてきたが、そこを考慮することがかえってノイズになるような句だと思った。七夕はその夜のことを思いがちだけれど、その前の昼の時間に着目してその長さを見せたあと、下五で病室が見えてくる。入院中の手持ち無沙汰が灯の消えたうすぐらい昼間の病室の不安感を際立たせる。

萩を描かず原爆ドームのスケッチよ  同

原爆ドームも長い間あの状態にあるので、それ自体やその周りに草が繁茂している。それでも、萩をはじめとして、そういったものはなかったかのように描かれるのは結局原爆ドームだけだ。原爆ドームの句ではあるけれど、これはときに中心に据えるもの以外を捨象してしまうわたしたちのまなざしのあり方そのものでもある。



第537号
岡田耕治 西瓜 10句 ≫読む
樫本由貴 緑陰 30句 ≫読む
三宅桃子 獏になり 10句 ≫読む
山口優夢 殴らねど 10句 ≫読む
矢野公雄 踊の輪 10句 ≫読む

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