2017-12-10

【週俳11月の俳句を読む】死なぬ日 月野ぽぽな

【週俳11月の俳句を読む】
死なぬ日

月野ぽぽな


林檎の実すれすれを行くバスに乗り  西村麒麟

おそらく林檎畑の林檎の木に成っている林檎の実。掲句のような状態でバスが通るのはどんな場合だろう。たとえば林檎狩りツアー。林檎畑の近くを、林檎の実すれすれに行くのなら、当たったり傷つけたりしないようにそれはそれはゆっくり走っていくはず。
バスに乗っている句中の其の人はバスの窓側の席。熟れた林檎の実の形や色や、その肌の様子がゆっくりと目の前を過ぎてゆく。と想像しているうちにまるで自分がそのバスに乗っているような気分になってくる。<すれすれ>という表現が引き出す臨場感がこの句の魅力だ。もうほとんど目的地。バスを降ればきっとあたり一面林檎の匂い。さあ、林檎三昧の一日を楽しもう。



富有柿対角線の走りけり  小野あらた

マンハッタンには果物や野菜を売るフルーツベンダーと呼ばれる屋台が街角の至るところに見られる。果物で常備されているのは、林檎、バナナ、苺、オレンジ、ブルーベリー、マンゴー等など。ここに秋になると柿が置かれる。英語の名前は「Fuyu Persimmon」。そう富有柿のこと。「甘柿の王様」とも呼ばれる、柿の品種の中で世界一多く生産され世界一多く食べられている柿だという。

さて、この富有柿の形を見てみよう。例えば干し柿で有名な市田柿はヘタの裏の果頂部と呼ばれる部分が尖った紡錘状の形をしているが、富有柿はそれに比べると平たくて四角っぽい。その果頂部の中心から、果実を四角に見立てたときの四隅へ伸びる線のような窪みを<対角線>と言い切ったことで、富有柿の姿の映像を読み手に再現させることに成功している。と、富有柿が食べたくなってきた。ちょっとそこまで買いに出ようか。



死なぬ日の影を放ちて大枯野  安岡麻佑

句中の其の人は広大な枯野にいる。ゆっくりと歩いているのかもしれない。枯野には自分の影。それを<死なぬ日の影>と言っているところが眼目。

其の日を敢えて<死なぬ日>と捉える心理はいったいどういうものだろう。たとえば、生命が絶たれるほどの経験をしたことがあるとか、余命を宣告されたとか、「死」を意識する出来事が身近にあり今日ある「生命」を感じているのだろうか。<影を放ちて>の措辞に香る陰影の混ざった開放感とが響きあう。———毎日の忙しい生活の中では生命のあることを当然と思いがちであるが、実はこれこそ大いなる奇跡———。

その影が放たれている大野原は枯野。仮に「青野」にして見て読む場合に得る感触とは全く違った、静かで深い生命力を顕在化させ、読むほどに味わいが深まってゆく。



三日月を京都タワーに乗せにけり  柴田健

JR京都駅中央口を出るとすぐに目に入るのが、京都タワー。ろうそくを模したとも、灯台をイメージして建てたとも言われるタワーは、京都駅前のシンボル的な存在である。掲句はその京都タワーと三日月との景。筆者は即座に展望部分に腰掛けるようにかな、と思ったが、天辺にそれこそうまく辿り着いているのかもしれない。

見所は「三日月が京都タワーに乗りにけり」ではなく〈三日月を〉〈乗せ〉たと言ったところ。もしも<乗せ>た行為者が作者でそれが省略されていると見れば、「自分が三日月を乗せたんですよ」と読めて、遊び心が浮かび立つ。もうすこし想像をすすめると、個人としての作者の枠を滲み出したもっと大きな存在、創造主と作者が重なり合っているとも。京都が大好きな筆者であるが、思い出してみると、月と京都タワーの共演を意識して見たことはないかもしれない。次の京都訪問の目的がひとつ増えた。


西村麒麟 八王子 10句 ≫読む 
小野あらた 対角線 10句 ≫読む
第552号 2017年11月19日
安岡麻佑 もらふ火 10句 ≫読む
第553号 2017年11月26日
柴田健 土の音 10句 ≫読む 

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