2012-07-08

池禎章さんの俳句 第2回 西原天気

池禎章さんの俳句
第2回 蛇と偶う日も出会わざる日もどきり

西原天気

承前:第1回 鮫食って棕櫚一本の枯れる景


今回は句集『卒寿』の後半です。

四っ辻のいぬふぐりです始めまして

「っ」と促音のところ注目しつつ、いぬふぐり視点を貫く点、味わいどころ。

蛙から見る陸上の全灯火

と、こちらは、カエル視点。水面と「陸上」それぞれの水平線が間近い。そこに横にずらっと並ぶように「全灯火」。人の暮らしが犇めくのを眺める蛙の表情はきっとクールで哲学的です。

蟷螂の七勝二敗ほどの斧

全九戦かあ、と、妙なところに立ち止まる。勝率7割8分。かなり強力な斧。

香ながる金星か金木犀か

言葉遊びの句は多くはありません。金星まで香らせてしまうわけですが、「ながる」のあたりが作者の実感。

先立たるリリアンギッシュ冬の南風

訃報俳句、まだありました。

「先立たる」!

大女優リリアン・ギッシュが亡くなったのは1993年2月27日。立春を過ぎていますが、2月終わりはまだ寒い。実感として冬なのでしょう。

なお、リリアン・ギッシュは1893年生まれ。禎章さんより9歳年上。満100歳を間近にして亡くなったという点、奇しくも禎章さんと同じです。

蛇と偶う日も出会わざる日もどきり

「どきり」って(笑。

会っても会わなくても「どきり」とする。暮らしている場所全体、流れている時間全体が生き生きとしている。これはものすごいことです。なんだってかんだって、それに尽きるのですから。

かたくりのぽっぽと咲けりボケるなよ

「ボケるなよ」は、片栗にではなく、周囲や自分に言った、と。「けり」の切れを重視して、そう読めます。

熊蝉の斉唱弘子離陸の頃

弘子さんは、前回の記事で取り上げた句にも登場した次女でしょうか。空にいる人、空に向かう気づかうこの気持ちは、土佐空港に近いあの土地で暮らす禎章さんにとって日常的かつ切実なのものなのでしょう。

クロの耳下かゆくてならぬ大晦日

クロは飼い犬でしょうか。ときどきこんなふうに家族が登場します。



禎章さんを訪ねたときのことを少し。2004年12月ですから、もう8年近く前です。

禎章さんはそのとき92歳。白内障とかで右目は見えず、左目もあまり良くない。私たちのためにご近所の「麦」同人諸氏が集まり、句会を催していただいたのですが、清記用紙を読むとき、禎章さんは、虫眼鏡を左目にあて、用紙におおいかぶさるようにしてお読みになっていました。

前立腺癌も患っているのことでしたが、悲壮感はない。というか、こちらに感じさせない。「年をとると、癌もなかなか進行しない」と朗らかに笑う。飄逸であり、洗練です。

世間話でも句会での合評でも言葉の運動神経が抜群で、当意即妙。一緒にいさせてもらうだけで、こちらが幸せな気分になるような92歳でした。



さて、句集に戻りましょう。

野火さかん広瀬修子とアナ名乗る

広瀬修子は元NHKアナウンサー。取材でやってきたのか。

引きずってみたい冬沼二つある

「~みたい」というかたちの句には、個人的にはあまり反応できないのですが、冬の沼にある「ひきずり」感は、なかなかです。「二つ」という妙な限定は、こういう句の味つけとして欠かせません。このへんに「本気度」が現れます。「~みたい」句は本気度が命です。

鄧氏逝く居直ってヘールボップ凍つ

鄧小平は1997年2月19日歿。ヘール・ボップ彗星は1995年7月に発見され、97年に明るさを増し(The Great Comet of 1997)、当時各所で肉眼でも観察され大きな話題を呼びました。

この年、禎章さんは、この大彗星を幾度か詠んでいます。

ヘールボップ彗星になお落花かな


この彗星、4月1日には近日点を通過。2月から春にかけて観察記録が多く残っています。そののち地球から遠ざかり、戻ってくるのは、4530年頃だそうです。

目まいでは死なない言わる枯山河

医者に言われたのですね。「人間、めまいで死んだりはしませんよ」と。中七がなんとも言えぬ口調をつくりだしています。例えば「死なぬと言わる」だと、別の口調、別の句になり、この味は出ません。

悪役は春落日に入りびたる

春の夕焼に「悪役」感が、同時に悪役に「春落日」感が、したたるばかりに横溢。



さて、また、2004年12月の話。

禎章さんとお会いしたのち、土佐市、高知市を少し観光しました。土佐は、いいところでした。

あ、そうそう、私たちより以前に東京から「麦」同人の下村まさるさんが土佐を訪ねたことも、同人からお聞きしました。そのときも歓迎句会が催され、こんな句を残しています。

  熱燗や土佐はまるごと太平洋  下村まさる

まさに! 土佐は「まるごと太平洋」のような土地です。気持ちのいい人たちと酌み交わす日本酒。まさるさんが訪ねたのも冬だったのです。

ついでに、2004年の私たちの句会で出た句。禎章さんは《身内だと鵙をわらえば蹴躓く》《いらっしゃい初冬いささか暑いです》など。たしかに暑いくらいの陽気でした。私は《寝坊して沖の鯨に笑われる》と詠んでいます。じつはこの日の朝、寝坊して飛行機に乗り遅れたのでした(一生の不覚)。

余談ですが、「麦の会」に在籍して、何がよかったかって、誌上でお名前を存じ上げているだけで、それまでお目にかかったことのない方々が(おまけに大ベテランです。こっちはペエペエ)、突然押しかけた私(たち)を温かく迎えてくださったことです。これはみなさんの優しさもありますが、やはり俳句の威力です。俳句から私への大きなプレゼントでした。



見つづけむ時々アラヨッとて落花

「アラヨッ」と散り落ちる桜。これはにんまりせずにはいられない句。

かんたろうみみず這い出る本気だよ

カンタロウミミズは、シーボルトミミズとも言い、体長30センチにも及ぶ(!)巨大ミミズ。西日本に生息し、高知県には多いそうです。

「本気だよ」。禎章節です。

木犀のあばれ香内海好江亡し

内海好江は、1997年10月6日歿。内海桂子とコンビで人気の漫才師でした。いわゆる江戸っ子ぽい「いい女」。木犀の「あばれ香」というところ、この句のキモです。

なりゆきで独居老化の大昼寝

ここからは平成十年~十二年の句作。この「独居」が奥さんの病気・入院によるものであることが、読み進むうちにわかります。生活の変化が句にも影響を及ぼす。句集には流れがある。句集を読むと、これがあるから、いいんですよね。

旧かなは使いたくない蟇

禎章さんにお会いしたとき、子規・虚子系譜の伝統派が多数を占めるなか(愛媛県はわかりますが、高知もそうなのですね)、禎章さんのような俳句は肩身が狭いといったことを、冗談はんぶん本音はんぶんでおっしゃっていました。

俳句に旧かなは使わない。これは毅然とした態度です。

「麦の会」は、新かなで俳句を書くという決まりです。私は早くから旧なかで俳句をつくるようになり、「麦」に投句するときだけ新かなを使いました。あまり感心しない使い分け。

自分の旧かな使用については特になにも思わないのですが(旧かなにこだわりはないのです。というか仮名遣いの新旧に関心がない)、この句を思い出し、禎章を思い出すときだけは、「申し訳ありません。旧かな、使っちゃってます」と頭を下げたい気持ちになります。

拙句集『けむり』は、2011年10月刊行。9月に亡くなった禎章さんにお送りすることはかないませんでした。ぎりぎり間に合わなかったわけですが、旧かなで表記した『けむり』です。お送りできていたとしたら、この句を思い出し、「すみません、すみません、旧かなです」と心のなかであやまりながら、ポストに入れたと思います。

春愁の高高高度夜行便

土佐から帰りの飛行機はたしか夕刻。夜空ではなかったと記憶しています。

臨終の一と声の「ああ」枯世界

「妻逝く 三十句」と枕詞のある句が並びます。

人は亡くなるその瞬間、それまでの昏睡がウソのように、容態が持ち直したのではないかと思えるくらいに、深く息をしたり、声をあげることがあります。

最期の「ああ」という声の響き。乾ききった悲しみです。

極月の死者と廻廊行き尽くす

雪椿じわりと睨む一花あり

大型のむかで屠りしあと独り

奥さんが亡くなったあとの数句。

句集『卒寿』を読んできて、最後にこの句を挙げます。

抱擁の出来そうに冬夕焼ける

こういう句は、もう何も言いたくないのですが。

ここに現実の抱擁はありません。抱擁は失われてしまった。抱擁の非在を詠んで、抱擁がもたらす幸福と切なさを伝える。


句というのは、ただ訪れ、ただ私たちを驚かせたり包み込んだりする。句について書くことは、その「訪れ」を記録するに過ぎません。

禎章さんの句は、私のところに、にこやかな顔をして、たとえ奥さんの死を詠んだ句でも、にこやかな顔をして(だから、よけいに泣ける)、ひょいとやってきます。

それは、豊かな軽さです。こちらがトビラを開けさえすれば、座布団一枚ぶんのスペースに、まるで来る前から居場所を知っていたかのように自然に、挙措美しく腰を落ち着け、私を魅了し、包み込んでくれる。いい句というのは、そんな感じです。

次回は、第一句集『河口原』を読みます。

(つづく)

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