2015-06-28

【句集を読む】字が響く 石田波郷『風切』の一句 福田若之


【句集を読む】
字が響く
石田波郷『風切』の一句

福田若之


霜柱俳句は切字響きけり  石田波郷

しかし、字が響くとはどういうことだろうか。そんなことが起こりうるのだろうか。

こう問いかけてしまった以上、われわれは、字の響きを追い求めて、ここからはじまる言葉が断ち切れるところまで進むことになってしまったに違いない。たとえ、その切れがとりあえずのものでしかないとしてもである。

切字の響きを追い求めるために、われわれは切字とはどのようなものであるのか、知らなければならない。正岡子規は「既に切字といひて『字』の字を置く上は字其者を指す語にて、意味と関係せず[i]」と書いている。「切字」が「字其者」を指す語である以上、切字はそれ自体がなんらかの声であるはずはない。だからこそ、われわれは、それが響くとはどういうことなのかを問わずにはいられないのである。

すかさず、「この句における「字」という文字を文字通りに解釈することはばかげている」という反論が予想される。だが、字が響くということがすでに問われてしまった以上、おそらく、そのことがすでに問題である。すなわち、そもそも文字通りとはどういうことなのか、ということが問題なのである。

したがって、字とは文字であるという前提から始めるからといって、この文章で展開されるのはこの句の文字通りの読みであるなどと主張することはできない。文字通りとはどういうことなのか。われわれはそのことを問わずに、文字通りの読みをしているなどと騙るわけにはいかないのである。

切字は声ではなく文字であるという主張をばかげていると考える人は、おそらく次のように言うだろう。

すなわち、「切字」とは、たとえば、この句における「けり」などがそうであるところのものであって、書かれたものであると同時に声に出して読むことができるものであり、したがって、切字は声に出されるとき、現に響くのだ、と。

実際に、ほかならぬ波郷自身が、いくらかそのように考えていたかもしれない。次のように書くとき、おそらく彼は声が字を為すと信じているだろう。
俳句は禅のやうに「ア」といへば「ウン」と響く気息を表現すべきである。
それが路傍の一茎の草花でもいゝ。そこに作者の気息とぬきさしならぬ共鳴があつて、呵して十七字を為す底の真率の声がなければならぬ。[ii]
さらにまた、次のように波郷が書くとき、彼は一方では俳句が書かれたものとして何かの形を得、定着し、いわば受肉していると信じているにもかかわらず、他方では俳句が発話、つぶやき、歌声の類でもあって、それゆえに共鳴を与えることができると信じているだろう。
私どもは私どもが日常見聞して感動したことを人に話したいと思ふ。また、人に必ず話すものであるが、これをもつと個的な把握表現によつて、何かの形に定着しようと考へることがある。その何かの形に定着しようと考へることがある。その何かの形は、絵であることもあれば、物語であることもあり、歌であることもある。私どもの場合はそれが俳句であるわけである。なぜ私たちが多くの表現形式の中から俳句を選んだかといふと、簡単にいへば、俳句の「短い」といふことが、専門詩人でない私どもが、日常生活の中からつぶやくやうに生み出す歌声として適当であり、さういふ俳句の多くが、私たちに親しさをもつて感動を再現伝達し共鳴を与へるからである。[iii] 
だが、字を声に出して読み上げるとき、その声を字そのものだと言うことができるだろうか。われわれは、「けり」をそのような意味で文字通りに声に出すことができるだろうか。われわれは、字に出して読み上げるかぎりで、字と声とは本質的に全く別のものとしてあることを認めるほかはない。つまり、ここに翻訳が介在していることを認めるほかはない。われわれには、言葉の肉をそのまま口にすることはできない。すなわち、われわれは字を声に出すこともできないし、そのようにして字をわれわれの糧とすることもできないのである。

したがって、声に出された言葉のうちに書かれたものを見出すなどということも決してできないだろう。

なるほど、声に出される言葉においても、言葉を言葉として成り立たせる分節化のはたらきが、プログラムとして、すなわち、つねにすでに書かれてあるものとして、働いているとみなすことは間違いではないかもしれない。しかし、そうした書き込みもまた、それがプログラムにとどまるものであるかぎり、本当の意味で現前することは決してないだろう。

プログラムは、われわれの前に表れ出るもののさらに前にしかない。したがって、それはたとえどのようなかたちであっても、決してわれわれの前には表れ出ることのない書き込みであり、当然、声にも表れることはない。そして、だからこそ、声が自らを「字」と呼ぶことは何らかの偽りを抜きには成立しないだろう。

では、もはや「字」が声として響くのではないとしたら、波郷に逆らって、われわれは句の「切字」という字を「切れ」と書きなおさなければならないのだろうか。

だが、切れが響くということは、切字が響くという以上にありえないことだ。なぜか。切字は字としては現にそこにあると言えるが、切れは何もないことによってそこに確認される。したがって、切れは不在である。このことは二通りに読まれる。

まず第一に、切れとはある種の分節であって、この隙間は、何もない空間ないし時間、すなわち完全な真空にほかならない。つまり、切れとはあらゆるものの不在としての間である。

そして第二に、そのような切れは切字の現前によって把握される以上のものではなく、切れがそれ自体として立ち現れることは決してない以上、実際にはただ切字だけが存在するのであって、切れというものは存在しない。つまり、切れはそのものとしては存在しない。切れは、切字の存在につきまとう無にほかならない。

こうして、切れが響く可能性は、切れが不在であるということのこれら二つの意味によって、二重に排除される。

すなわち、まず第一に、切れは音を含むあらゆるものの不在である以上、それが響くということはありえない。

そして第二に、切れがそのものとしては存在しない以上、それが響くということはありえない。

この可能性の二重の排除こそは、波郷が「俳句は切れの響きけり」とは決して書くことができず、「俳句は切字響きけり」と書かざるをえなかった理由であり、すなわち、彼が字が響くことをなおも信じざるをえなかった理由であるだろう。

波郷は「十七字で完成するためには、切れることが必要である。「切字」がなければならない[iv]」と書いた。一読して了解できるように、「十七字で完成するためには、切れることが必要である」という一文は切れの必要性を説き、「「切字」がなければならない」という一文は切字の必要性を説いている。そして、この二つの文を何の介入もなく結び付ける以上、波郷もまた切字と切れが存在と無の関係にあることを前提としている。

ここに波郷の限界を見ながら、この限界によって画定された波郷の下で、われわれはさらに波郷へ向かって進むことができるだろう。問いはこうだ。波郷の信じた字の響きは、波郷が書いたような「真率の声」ではもはやありえず、また、切れそのものの響きともみなせないとするならば、その響きをどのようなものとして信じることができるのか。

切れが不在であるということは、言葉を言葉として成立させている先述のプログラムに切れが関係していることを示唆している。このプログラムは、声を言葉として聞かせるだけではなく、文字を言葉として読ませるものでもあるが、こうしたプログラムは人から人へ伝えられるものに他ならない。その伝達によって、その教えによって、われわれは言葉を理解することができるようになるのだ。ここでふたたび子規の言葉を参照しよう。
要するに文法上より俳句を研究するは今日に於て猶面白き處あり。切字という方面より見るは殆ど其必要を知らず。蓋し昔は無學文盲の者に俳句を敎んとしたりしかば、勢いかゝる事を説く必要もありけん、今の普通學を修めたる人に切字を敎ふには及ばじ。[v]
子規の記述でとりわけ興味深いのは、かつての切字の教えは文盲の者を相手にしたものであり、彼の時代には切字の教えに文法の教えが取って代わった、というひとつの歴史認識だ。「古俳書には切字を説かざるものなし[vi]」とさえ書く子規が、その書かれた教えを文盲の者のためのものと見なすというのは、いったいどういうことなのだろうか。理屈から言えば、文盲の者は、文盲である以上、俳書など読めるはずがないのである。

にもかかわらず、子規が書いていることはある意味においては確かに正しい。というのも、切字について説くということは、その字について正しく読み書きできないものに対して、すなわち、その字について文盲の者に対して、何かしらの教えを説くということだからだ。切字について説く教えは、切字について文盲の者にしか、必要とされることはないだろう。

切字についての議論がなされる際に今日でもしばしばその拠りどころとされる芭蕉の教えが、口伝という形態、いわば、文盲の相手に向けた教えにふさわしい形態をとっていたのは、したがって理由のないことではないだろう。

『去来抄』には、芭蕉が去来たちに話したことをさらに去来が卯七に話したこととして「是を傳受すべし。切字のことは連俳ともに深く秘。猥に人に語るべからず[vii]」と記されており、さらに「去来曰、此事を記す、同門にも乱り成と思ふ人あらん。愚意は格別也。是事、穴強先師の秘給ふべき事にもあらず。只、先師伝受かく有しゆへなるべし。予も秘せよとありけるは書せ(ず)。たゞ、あたりを記して、人も推せよと思ひ侍る也[viii]」と記されている。

『去来抄』においては、それが去来の書いたものであるにもかかわらず、去来自身の口伝が間接的に記されているが、この切字についての一節では、それが徹底されている。これは、口で伝えられたことと字で書かれたことの混同を避けるための配慮であろう。

『三册子』には、こうした配慮が芭蕉の言葉として記されているのを見ることができる。
切字の事、師のいはく「むかしより用ひ来る文字ども用ゆべし。連俳の書に委くある事也。切字なくては、ほ句のすがたにあらず、付句の體也。切字を加□へても付句のすがたある句あり。誠にきれたるにあらず。又、切字なくても切るゝ句あり。その分別、切字の第一なり。その位は自然としらざれば知りがたし」。[ix] 
この口述筆記は『去来抄』ほどの徹底した配慮の下で行なわれてはいないが、芭蕉のものとされている言葉のなかに、いくらかの配慮が見られる。まず、「連俳の書に委くある事也」ということによって、この口伝がそれじたい概要であり、簡略化されていて、多くのとりこぼしを前提としていることが示唆されている。

さらに、ここで「連俳の書」への参照をうながすことは、字のことは最終的には字によってしか理解されないということを示唆している。つまり、ここで声と文字との混同を避ける配慮がなされているのだ。その上で、文盲の者たちのための教えが展開される。ここで教授されるのは、文盲の者が文盲でなくなり、「連俳の書」を読めるようになるために必要な、「その位は自然としらざれば知りがた」いことだ。

確かに「切字なくても切るゝ句あり」という言葉がそうであるように、ここにはわれわれの観点からすれば必ずしも正しいとはいえないことが含まれている。だが、文盲の者が文盲でなくなるために一度は信じなければならない誤謬というものが、おそらくは存在するのである。

文盲の者たちを相手に字を教える者は、当然、字を教えるためには文盲であってはならない。しかし、また一方で、字を教えるためには多かれ少なかれ文盲の者と同じようにしなければならない。芭蕉のしたことはこれである。相手がある字について文盲である場合、その字については、その字で書かれたものによって伝えることはできない。

したがって、波郷の句は、その極めて教条的な外見にもかかわらず、切字についての教えなどでは決してない。波郷がそれを望んだとしても、その役割を果たすことはありえない。むしろ、われわれが切字についてすでに充分に知っていなければ、われわれにはこの句を理解することなど決してできないはずなのである。そうでなければ、字と声との曖昧な混同を前に、句自体を謎とみなし、その理解を宙吊りにしたまま、われわれのように話を進めるしかない。

われわれはおそらくすでに文盲ではないが、いまは多かれ少なかれ文盲の者を演じている。われわれがここでしていることが文盲の者の演技にすぎないということは、いずれ明らかになるだろう。

さて、『去来抄』においては、波郷の句とは対照的に、字と声とは、その違いを浮かび上がらせていた。話したこととして記されているということが、すなわち話したことがそのまま記されているということではないことに注意しておきたい。われわれは先ほど、『去来抄』の切字についての記述において、声と字の混同を避けるための周到な配慮がなされていたことを確認した。去来は書いたが、決してありのままには書かなかったことを、そして、その配慮についての言葉さえもが、ただ間接的な言としてのみ書面に表されていたのを確認した。

そして、芭蕉はこのような気くばりのもとではじめて「歌は三十一字にて切れ、ほ句は十七字にて切る[x]」という言葉の語りを担うことができたのだった。

仮に、いずれは波郷が書いたように「十七字は字数ではないのである[xi]」と認めることになるとしても、この「ほ句は十七字にて切る」という言葉については、十七字は十と七つの字であると読むほかはないし、そうすることは許容できるだろう。実際には、われわれが、さしあたりいろは歌の仮名で俳句を表記する限りのことではあるが、まずはそれを許容しなければならないだろう。

もちろん、それでも例外があることは明らかで、実際に運用されていた規則そのものだとは言いがたい。だが、それらの点については「推せよ」、すなわち、自ら推察しろというのだから、これらの言葉は全体として許容することができる。

芭蕉はさらに、次のようにも言ったとされている。すなわち、「切字に用る時は、四十八字皆切字也。用ひざる時は、一字も切字なし[xii]」。これはどういうことだろうか。

たとえば、われわれがいま取り上げている波郷の一句がそうであるように、「けり」を用いた句において、そこに切れが見出せる場合、ふつうは「り」ではなく「けり」が切字であるとみなされる。ここで、切字は字であるが、必ずしも一字ではないということが分かる。

このことは、一見すると「切字に用る時は、四十八字皆切字也」という芭蕉の主張と矛盾するように思えるかもしれないが、そうではない。「けり」を成り立たせている「け」や「り」は、いろはの四十八字に含まれている。芭蕉は決して切字が四十八種類しかないとは言っていないので、四十八字から切字ができてさえいればよい。

ここで「字」という字の古い字義について確認しておこう。

「字」という字は、遠い昔には、人と人とが組み合って子どもを作ることを意味していた。それは、さしあたり自己言及的な意味を持つ記号ではなかった。やがて、子どもを作るという意味が転じて、それぞれに異なる意味を表わす複数の文様を組み合わせて生み出された意味を表わす文様のことを意味するようになる。今日、「字」という言葉で表わされるのは、かつて「文字」という言葉で表わされていたものである。

ここでの「かつて」とは、それだけで一つの意味を表わす文様のことを「文」という語で書き表わし、それらをいくつか組み合わせることで別の意味を表わす文様のことを「字」という語で書き表わしたときのことである。「文字」は、これらの二種類の文様の総称とされた。「字」という字が自己言及的な意味を持ったのはこのときである。この定義によってはじめて、「文」というこの記号はそれ自体が意味するところの文とみなされるようになり、「字」というこの記号はそれ自体が意味するところの字であるとみなされるようになった。

遠い昔には、「字」という字は結合と生成を表していた。だから、「かな」や「けり」などがひとつの切字として理解されるときには、「字」という字がかつて表わしていたそれらの意味が思い出されているのだといえる。「か」と「な」が結合して、「かな」が生成する。

もちろん、「や」もまた切字であると見なされる以上、「切字」と書くときの「字」は、かつての「字」ではなく、いまの「字」、すなわち、かつてなら「文字」と書かれただろう、あの「文」と「字」の総称にほかならない。だが、そうだとしても、いまの「字」のなかには、先に記したとおり、かつての「字」が歴然と含まれている。

「や」、「かな」、「けり」が同様に切字であるということを突き詰めて考えるならば、ここで「切字」は、単に書かれた字であるという以上に、書かれた語であるということになるだろう。

われわれはさらに、おそらく芭蕉の教えについての去来の教えから導き出されたであろう子規の教えに従うことにしよう。すなわち、「大体より言へば切字は文法上の終止言を指すといひて可なるべし[xiii]」という教えに従うことにしよう。そして、さらに次の教えにも従うことにしよう。

独立格の場合は、
菊作り』汝は菊の奴なり   蕪村
時鳥』櫻は杣に伐られけり  言水
の如く名詞を以て終りながら一文章を成す者なり。即ち前の句にて『菊作り』といふ名詞は一文章を成し、『時鳥』という名詞も亦一文章を成す。故に此句は何段切かと問はゞ、二段切と答えん。[xiv]

だが、ここで一旦、引用を切らなければいけない。われわれは、これらの教えに従うからこそ、続く次の教えには公然と歯向かわなければならないのである。
されど切字はと問はゞ各句一箇宛(『なり』と『けり』と)なりと言はざるべからず。何となれば『菊作り』『時鳥』の如き名詞を切字と名づく由なければなり。[xv]
子規がこう書くとしても、われわれには「菊作り」や「時鳥」のような名詞を切字と見なさずにはおけない理由がある。そして、理由があればそれを切字と見なしうるというこの一点でのみ、われわれは子規の教えに従うことになるだろう。われわれが子規の教えに則って子規の結論を否定するのは、われわれが、そこに字が書かれてあるのを見てとることによってしか、それによって生じる不在としての切れを見てとることができないと考えるからである。

そして、このとき、われわれは、波郷の句においても、「霜柱」という語を全体で一つの切字であると見なすほか、どうしようもない。

これは、波郷自身が能村登四郎の〈長靴に腰埋め野分の老教師〉という句について「現代の句であるこの句は、一見切字がないやうだが、老教師で切れてゐる[xvi]」と評し、「老教師」の一語を切字と見なしたのと同様である。波郷の句には「霜柱」と「けり」という二つの切字が含まれているということになるだろう。

ここでようやく、「霜柱」というこの二字が「四十八字」の外にあるということに言及することができる。われわれは、「霜柱」という二字のうちに、それを仮名に書き換えた「しもばしら」を――より正確には、いろは仮名とも呼ばれる平仮名が、濁点も半濁点も「ん」も表記としては書かれることはなく、確かに四十八字だった頃の表記法に則って書いた、あの「しもはしら」を――見て取ることはできない。

なぜなら、この変換は、文字を文字通りに声に出すことができるとするあの混乱のもとでのみ成立するものだからだ。そして、文字通りの音読がありえないのと同様に、いかなる文字通りの書き換えもありえないだろう。文字通りであれば、なにも書き換えられてはいないことになるだろう。それゆえ、われわれは「四十八字」という芭蕉の言葉のほうを、それが許す範囲で読み替えなければならない。

ここまで、われわれは、「四十八字」という言葉について、それをある特定の文字体系、すなわち、ひらがなの総体のことだと解釈してきた。しかし、結局はそれを提喩として理解しないまま進むことはできないだろうということを、ここで自ら推察しなければならないのだ。

われわれは、「四十八字」という文字を、あらゆる文字の体系の全体、つまり、文字一般の提喩だと考えるほかはないだろう。「霜柱」は、たしかに、文字の体系に属している。この理解において、次の波郷自身の言葉における「つまり」の飛躍は許容される。
切字は普通「や」「かな」「けり」に代表されるが、動詞・助動詞の終止形はすべて切字であり、てにをはや体言が切字になることもある。「四十八字切字ならざるはなし」である。つまり、「切れる」働きをするものはすべて切字にあたるわけである。[xvii]
このように「四十八字切字ならざるはなし」を「「切れる」働きをするものはすべて切字にあたる」の言い換えとみなすことは、「四十八字」があらゆる文字の体系を指し示す提喩である場合にのみ許されることなのである。そしてまた、字についてのこの理解において、波郷が書いていたように、十七字もまた字数のことではもはやない。それはおそらく俳句の俳句性そのものなのである。

ここで、「去来抄」に比喩を認める一方で波郷の句に比喩を認めないのはなぜか、という問いに応じておくほうがよいだろう。

われわれは、決して、比喩を全く認めないというスタンスでここまで進んできたのではなかった。われわれがここまで認めずにきたのは、比喩のはたらきを介した読みではなく、安直に文字通りということを信じる読みである。われわれは、比喩を批判してきたのではなく、明らかに恣意的な読みをそれとなく文字通りの読みと見なしてしまう態度をこそ、徹底して批判の対象としてきたのだ。

そもそも、ここまで、まだ文字通りということがどういうことなのかはっきりしていない以上、われわれが文字通りに読んできだと主張することのできる文字はいまだにただの一字もない。そして、そうである以上、われわれがここまで進んでくることができたのも何かしらの比喩のはたらきであり、さらには、そうした比喩の対応関係を明らかにする翻訳のはたらきのおかげであるに違いない。

ここでようやく、文字通りとはどういうことかを書くことができる。文字通りとは、いかなる翻訳もぬきに文字が写像されるときの、置き換えのない置き換えにほかならない――もっとも、そんなことができると信じる限りにおいてのことではあるが。だから、文字通りとは、たとえば、文字がそのまま眼に映ると信じるときの、そのあり方なのである。

それゆえ、われわれは、文字と声のあいだで文字通りということがありうるという誤謬を一貫して排斥してきた。

その結果として、われわれはいま、波郷とともに、ある袋小路に到達している。

確かに、われわれがこの句を文字通りに読なまいで、音読してしまうなら、字の響きを聞くことなど決してできない。しかしながら、われわれがこの句を文字通りに読むことしかしないならば、この場合もやはり、もはや字の響きを聞くことなど決してありえないのである。

この袋小路を前にして、さらに言葉を書き継いでいくには、どうしたらよいのか。幸いなことに、われわれは文盲の者の演技をしているのであって、文盲ではない。われわれはその術をすでに知っているはずだ。というのも、それは、われわれがこの本文をはじめる段階で、文字通りにではないが、確かにすでにともにおこなったはずのことだからである。

それは、波郷の句を書き写すことである。

波郷の句を書き写すとき、われわれはおそらく、極めてささやかな音を聞き取るはずだ。紙と筆記具の擦れによって、かすかな音が出るのを聞くはずだ。「霜柱」と書き写すとき、あるいは、「けり」と書き写すとき、われわれは霜柱を踏み崩すときと同じくらいささやかな音が響くのを聞く。その響きこそ、まさしく切字それ自体の響きなのである。

しかしながら、これらの切字は、書かれたその瞬間にまさしく鳴りを潜める。

「俳句は切字響きけり」という現在の詠嘆は、われわれが書き写すことによって、「俳句は切字響きけり」という過去の伝聞へとたちまちその意味を変えてしまう。書き写すことが模倣することである以上、この言葉を書くことは、決して、われわれ自身が俳句の切字の響きに感じ入っていることを表明してはくれない。波郷の句を信じるならば彼自身が体験したはずであるところの、あの切字の響きはもはや再現不可能である。それを、われわれは自ら体験したわけではない過去として述べるに過ぎない。

だから、もし、そこに「石田波郷」という銘を刻まなければ、書き直されたこの句は伝聞された過去として読まれるしかない。

だがまた一方で、もし、その銘を刻むならば、今度は、句それ自体を引用として示すことになる。だから、その場合もやはり、われわれはわれわれ自身の体験としてそれを語っているのではないことになるだろう。

したがって、われわれが「石田波郷」という銘を刻もうが刻むまいが、この句を書き写すことを通じてできることは、切字の響きを聞くことだけである。それによってわれわれの感動を表わすことは決してできない。この句は、言葉として引用されるときには、必ず翻訳に絡めとられて、文字通りであることを失うのである。

われわれがもし文盲であったなら、われわれは何の意味も持たせることなく、それを図形として書き写すこともできたかもしれない。だが、われわれは文盲ではなかったし、すでに波郷の句を読んでしまった。たしかに、われわれは文盲ではないことによってこの句を読むことができた。しかし、まさにこの句を読むことができてしまったことによって、この句をもはや文字通りに書くことができなくなった。

こうして、われわれは、自分たちが全く文盲ではなかったがために、字の響きに対する感動を表明するための不可能な言葉を追い求め続けることになってしまったのかもしれない。

だから、もはやあの句を文字通りに書くことができないという意味で、われわれは全くもって文盲である。もはや文盲でないわれわれは、そのことによって文盲である。われわれは、今度は文盲ではないわれわれを演じて書きはじめざるをえない。

このようにして、おそらく、ひとつの望みを抱えたこの企てが、俳句というジャンルの、すべてではないにしても一区画を占めているのだ。すなわち、「字が響くのを聞きたい」という、ひとつの望みを抱えた企てが。



[i] 正岡子規「或問」、『子規全集』、第5巻、改造社、1920年、142頁。
[ii] 石田波郷「作句」、『石田波郷全集』、第4巻、角川書店、1970年、40頁。
[iii] 石田波郷「俳句哀歓――作句心得」、『石田波郷全集』、第4巻、角川書店、1970年、207頁。
[iv] 石田波郷「職場俳句について」、『石田波郷全集』、第4巻、角川書店、1970年、119-120頁。
[v] 正岡子規「或問」、前掲書、152頁。
[vi] 同上、147頁。
[vii] 「去來抄」、『校本芭蕉全集』、第7巻、富士見書房、1989年、116頁。
[viii] 同上、117頁。
[ix] 「三册子」、『校本芭蕉全集』、第7巻、富士見書房、1989年、163頁。
[x] 「去來抄」、前掲書、117頁。
[xi] 石田波郷「韻文韻文」、『石田波郷全集』、第4巻、角川書店、1970年、61頁。
[xii] 「去來抄」、前掲書、117頁。
[xiii] 正岡子規「或問」、前掲書、142頁。
[xiv] 同上、145頁。
[xv] 同上、145頁。
[xvi] 石田波郷「俳句哀歓――作句心得」、前掲書、212頁。
[xvii] 同上、210頁。

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