2014-05-04

俳句の自然 子規への遡行30 橋本直

俳句の自然 子規への遡行30

橋本 直
初出『若竹』2013年7月号
 (一部改変がある)

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前回までにみたように、子規の「俳句分類」は、その主な部分が季語を軸にしつつ、俳諧の発句中の語の配合を一覧できるようにしたものであり、いわば発句の配合組み合わせデータベースとでも言い換え可能なものだろう。ゆえに、例えば芭蕉の「閑さや岩にしみいる蟬の声」の「岩にしみいる」という表現のもつ効果や、「海くれて鴨の声ほのかに白し」の声を「ほのかに白し」と把握する面白さ、あるいは句跨がりの効果の有無など、一句一句を解釈する上では看過できないような要素を直接すくい上げる仕組みにはなっていない。

子規は分類作業を進めていたころを回想し、当初退屈であったものが「猿蓑」ではじめて面白いと思ったと述べているから、主観的にどう思いながら分類していたのかということと、分類の制度設計は一見違っている。が、逆に言えば、同じ季語で詠まれた句の中で、配合されている同じ分野のものやことを使ったものを並列することで、それぞれの句の差異を見出して各句の個性や善し悪しを判別することができるようになっている、ということもできるだろう。もしこれが巨大な一枚の紙の表になっていたならば、それはさぞ壮観な事であろうと思う。子規は、このデータをもって明治とそれ以前の俳句の世界を俯瞰しようとしていたのだろう。

子規は、明治二八年の「芭蕉雑談」において「余は号頭に一断案を下さんとす曰く芭蕉の俳句は過半悪句駄句を以て埋められ上乗と称すべき者は其の何十分の一たる少数に過ぎず。否僅かに可なる者を求むるも寥々晨星の如し」云々といい、芭蕉の佳句は明け方の星の如く少ないことと、その理由を述べている。子規たち新派に対し旧派といわれる宗匠俳諧を中心とする俳聖として神格化した芭蕉像を否定するためである。文学史的には子規は芭蕉の偶像化を否定し、類型化し陳腐な句を量産する旧派宗匠連を「月並」と批判し、「写生」によって俳句を近代化したことになっている。とはいえ、同時代にはそのような子規個人への評価がいかほど共有されていたかは心許ない。下って時代にそぐわなくなり衰退した旧派の衰退を埋めるかたちで子規の評価が浮上するということも少なからずあったのではないかとも思う。

それはさておき、子規は「過半数駄句」といいつつ、芭蕉の文学的価値をいささかも否定してはいない。「吁嘻(ああ)芭蕉以前に已に芭蕉無く芭蕉以後復芭蕉無きなり」(前掲「芭蕉雑談」)。なんでもかんでも芭蕉を信奉する人々への攻撃は辛辣なものがあるが、俳句の歴史の中で芭蕉は空前絶後の存在であると認めているのである。では子規は、「芭蕉雑談」中で芭蕉の句を具体的にはどのように評価していたのであろうか。以下、「俳句分類」上の分類と併せて、幾つか例出する。(句の表記は「子規全集」のママ)

  道のへの木槿は馬にくはれけり

子規はこの句に対し、既存の説を幾つか紹介し、いずれも高評価なのを受け、「木槿を穂麦に改めたりとて何の不都合かあらん。蓋し此句は何か文学外の意味ある者にて」云々と述べて、季語が動く可能性とこの句の俗諺臭を批判している。

「俳句分類」「木槿」の下位分類中、この句は「(動物)(植物)」に分類されている。同分類中のその他の動物の句を引用すると、以下の通りである。

  鷺に似て白きは花のむくけ哉   立圃

  蜘蛛の巣の中に花さく木槿哉   𧍪石(超波とも)

  牛洗ふ小川に凋む木槿かな    成美

  鳴鳥のとまり木迄もむくけ哉   休音

なお、植物では「蕣」とのとりあわせが多く、主に朝顔に紛れる木槿の様を詠む。「蕣」は「きはちす」と読めば木槿のことだが、ここでは朝顔のこと。和歌で「あさがほ」とよませるのを踏襲していよう。芭蕉にも「蕣や是も又我が友ならず」がある。

この分類された句の中に芭蕉の「道のへ」句を置いてみると、なかでは成美の、一日の農作業が終わりに木槿がしぼむ風情、いわば人と自然の営みの重なるゆったりした田園の時間を詠んだ句には見るべきものがあろうが、芭蕉のささいな瞬間の出来事に、おかしみと儚さを一挙に詠んだ手柄には及ばないのではないか。

先に述べた既存の説のうち、子規が「文学外の意味」をいう説は、以下のいずれかであるという。

一説にいう、槿花一朝栄といふ古語にすがりて其はかなき花の終りさへ待ちあへで馬にくはれたるはかなさを言ひいでたるなりと又一説あり、此句は出る杭は打たるゝといふ俗諺の意にて木槿の花も道の辺に枝つき出して咲けば馬にも食はるゝ事よと人を誡めたるなりと。

なるほど、歴史的に句の解釈の中に俗諺的な理屈臭が上書きされてきたことはままあることだろう。子規は既存の諺のように解釈されがちなその部分を打ち消すために、あえてこの句を強く批判しているのではないかと思われる。その一方で「俳句分類」の中においてみれば、他の同類句とは一線を画す出色の句であることは、子規にもはっきり意識されていたのではないだろうか。

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